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2014年02月16日

小島露観の「動機」〜「ザイン後の自分たち」を考える

先日、ある元会員さんとの間で「小島露観は、革命を本気で志していたのか?」「そもそも、小島を突き動かす動機は何だったのか?」という話になり、ちょっとした議論をした。

かつて小島は「昔、野山を散策して触れ合った自然が壊されることに怒りをもった」とか「悪平等の民主主義が許せない」とか「大和魂を復興させる」など、革命を志した動機を声高に語っていた。小島の口からそのように熱く語られた動機を信じ心惹かれて、自分たちはザインに入ってしまった、だから自分やザインを見つめなおすために、小島の真の動機について考えてみたい、という趣旨だった。

小島が革命を志した動機は、小島自身が語ってきたものだけでなく、小島を観察して推理できるものも含めると、様々なものが考えられる。

・民の幸せを考えているようで考えられていない、民主主義の衆愚政治的なペテンさへの怒り。
・自らが駆け回った野山が切り開かれ、ゴルフ場になっていく、そんな自然破壊への怒り。
・優秀な兄をはじめとする周囲への劣等感と、「認められたい」という承認欲求。
・小島の精神疾患の疑い(あくまで疑いの域を出ない)。

なるほど、どれももっともだと思える視点だ。
いっそのこと、全て正解にしてもいいくらいだ。

しかし、ちょっと見方を変えてみると…

民主主義に対する反論をやりたければ政治活動をすればいわけだし、自然破壊に腹を立てるならグリーンピースみたいな活動をやればいい。
誰かに認めてほしいからといって皆がこんなことをするわけじゃないし、精神疾患になった人が皆「実質上のカルト教祖」になるわけじゃない。

つまり、僕が何が言いたいかというと、このような形で語られる動機というのは突き詰めてみると「不確かなもの」だということだ。
せいぜい「引き金」「きっかけ」「背景」程度のものであって、それが本当に動機かどうかは、確かめる術もない。

人の心を突き動かし行動に駆り立てるものって、ロジカルな動機じゃなくて、ハッキリと言葉にできない衝動ではないだろうか。

例えば恋愛。
僕らが誰かを好きになったとき、そこに「明確な動機」なんて存在しない。
「この人いいな♪」と思うきっかけとか、「この人と思いが通じ合えるな」って感じる背景とかがあって「好き」という感情が生まれるのは確かだけど、それらは「好きになる動機」とは違うものだ。
人を好きになる上で「好きになるための理由」なんて存在しない。好きだから好きなんだ、何か文句あるか、とまぁ、そんな感じだ(苦笑)

小島露観の「革命」も、突き詰めれば、それと一緒なのではないか。

革命したいから俺は革命するんだ。
やりたいから剣を振り、パワーストーンを売り、魔法の儀式をやるんだ。
何か文句あるか?

と、こんなところだろう(苦笑)

確かに小島自身がそこに至るきっかけは色々あったかもしれないが、革命を志すこと自体には明確な理由など存在しない。
僕らが誰かを好きになる気持ちに理由がないのと同じく。

その理由なき衝動に突き動かされるように、小島は街宣をぶち、核石を売り、なんちゃって剣法でセカイに日々立ち向かい、エロ儀式を開催し、日々思ったことを「神文学用語集」として垂れ流してきたのだ。

…となると、考えるべきはきっと「小島の動機」じゃない。
動機というものが「言語化できない衝動」である以上、いくらそれについて考えても答えなんて出ない。
言葉として語られる動機なんて、あくまでも「後付けの想像や理屈」でしかないのだ。

少し厳しいことを言うけれど…
不幸にもザインに関わってしまった元会員が「小島の動機を考えたい」と思うとき、考えるべきはきっと、小島の動機そのものではなく、「小島の動機を知ろうと思う自分自身」なのだと思う。

僕ら元会員の多くは、当時は「小島が正しい」と心から信じ、ザインに関わってきた。
だからこそ、それが裏切られたことへの心の整理をつけることは難しい。

それ故に僕らは、小島の動機を知りたい、知って自分を納得させたい、と、そういう思いが涌いてくるんだよね。

他にも…

小島やザインに怒りを覚えながらそれを表に出さず、淡々と日々を生きる人。
小島や幹部への怒りを隠さず、ザインを熱心にバッシングする人。
当時のザインの理想の正しさを、信じたいと思う人。
騙されたと頭では分かっていても「騙された」とは思いたくない人。

色んな人がいるけど、それぞれに「信じてたものに裏切られた痛み」や「自分が間違っていたと思いたくない痛み」を抱えているのだと思う。

こうした心の痛みは、多くの場合、客観的に見つめて言語化することがとても難しい。
それ故に、僕らは知らずのうちに迷い、煩悶するのだ。

だが。
それでも。
僕らはいつまでも「漠然とした心の痛み」を抱えたまま、同じところをグルグルするわけにはいかないじゃないか、と思うのだ。

色んな状況の人がいるから、押し付けるわけにはいかないけど…

僕らは、どっかのタイミングで、踏ん切りをつけて、

「生きていると、ときどき、ひどい裏切りをする人と出会う」
「人は、ときどき、大きく間違うことがある」

ことを、素直に受け入れ、認めることが必要なんじゃないかな。

世の中のひどい現実を受け入れ認めることは、僕らが心に抱いていた理想を捨てたことにはならない。
むしろ、そこから「理想を現実にするための思考と行動」が始まるのだ。

自分自身の至らなさを受け入れ認めることは、愚かであることの証明にはならない。
むしろ、至らなさを具体的なレベルでハッキリと認めることや、人が間違いを犯すことを織り込むことは、賢さの表れだといえる。

なのに、僕らは心が痛むと、そのあたりを錯覚して

「裏切られるのは辛いことだから、人を信じないようにしよう」とか
「騙す奴が悪いんだ! 絶対に許せない!」とか
「騙されるのは愚かなことだ、そんな自分が許せない…」とか

真っ先に反射的にそう思ってしまうものだ。
そう思うこと自体は人として自然な感情だし、いいも悪いもないと思うんだけど…そういった感情が高じるあまり、僕らはしばしば、心を閉ざして現実をシャットアウトしてしまう。
そうして、無意識のうちに、現実を受け止め、受け入れ、自他を広く観察することを、拒否してしまうんだよね。

とはいえ、小島の動機を考えること自体が、全くナンセンスであると決め付けるつもりもない。
そうやって考えることで、自分が納得できて、次のステップに進めるなら、それもいいと思う。

でも、それはそれとして、もっと本質的なところで…

ズルい人、裏切る人は確かにいるから、大事な判断をするときは気分や感情で軽率に決めない。
裏切られることは辛いことだから、自分は「裏切られた」と人から思われるような真似をしない。

騙す奴も、騙される自分も、それぞれに間違っていて、どんな人でも時々はそういう過ちを犯す。
だったら、これから何に気をつければ自分は、そういう過ちを犯さなくて済むのか、考えてみる。

…と、こんな風に、これまでの出来事、これまで体験してきた現実を踏まえつつ、「これから」に目を向けていければ、いいんじゃないかなぁ、と思う。

だって、僕らに必要なのは「後ろめたく恥ずかしい過去」という足枷ではなく、「これからどうするか?」という未来に向けた見通しなのだから。

僕らみんながそれぞれに、少しずつ、少しずつ、ザインに関わってしまったことで抱えた心のモヤモヤを「これからを考え、行動していく」という形に昇華していけたら素敵だね。


posted by Riot at 03:12| Comment(2) | 徒然語り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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