[PR] サメ軟骨 ザイン・ザイクス・株式会社シリウス・天業古代王朝の、核石・聖品・実態・体験談 〜zynekiller通信

2012年05月19日

信頼できる人や組織を見分ける方法

チラリとコメントに書いた内容ですが、記事として上げておくことにします。

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世の中には、色んな人がいますし、色んな会社や団体などの組織があります。
僕らは、ザイン(ザイクス)や小島の言うことを少しでも信じてしまったおかげで、痛い目を見たわけですが、今後、そうした色んな人や組織と関わる上で、「相手がどれだけ信頼に足るか?」ということを見分ける・見極める方法を、僕らは学ぶ必要があります。
再び、信じるに足らぬものを信じ込んで、痛い目に遭うことのないように。


「この人は、信頼できる人か?」
「この組織は、信頼できる組織か?」

それを見分けるポイントは、いくつもあるとは思いますが…
ひとつ、分かりやすいポイントがあります。

それは

「その人・組織が、例外と向き合っているか?」

です。

アタリマエな話ですが、人や組織には、色んな考え方や価値観があるものです。
しかしながら、どんな相手にも、どんな状況にも当てはまる考え方、価値観、行動指針なんてものは、存在しません。必ず反対意見、支持しない人、対立する人が存在しますし、色んなイレギュラーが生じるのが世の常です。
あらゆる人や組織は、日々、こうした「例外」と向き合っていく必要があります。


信頼できる人や組織は、例外に対し、次のようなスタンスをとります。
(これらの要素が多ければ多いほど、信頼できる人や組織であると判断できます)

・反対意見や不支持の姿勢があるのなら、その理由を知ろうとしたり、推察しようとしたりする。
・自分の考え方や価値観にそぐわない「例外」を、まずは事実として受け止める。
 その上で、事実関係を冷静に把握しようとしたり、その理由・意図・背景を推察したりしていく。
・「例外」に対し、断定的に反応せず、謙虚な姿勢で接する。
・「例外」を踏まえて、考え方、価値観、行動指針をブラッシュアップしていく。



100%の信頼を置けない人や組織は、例外に対し、次のようなスタンスをとります。
(※ほとんどの人が、これに当てはまるかと思います)

・反対意見や不支持の姿勢を前にしたとき、その理由を慮ろうとせず
 「人は人、自分は自分」と割り切ったり、相手の間違いを正そうとしたりする。
・「例外」に対する洞察が浅かったり、「○○だからだ」と決めつけたりする。
・「例外」に対して、見て見ぬふりをしたり、強く批判したり、嫌ったりする。
・「例外」から学ぼう…という姿勢が見られない。



そして、信用してはならない人や組織は、例外に対し、次のようなスタンスをとります。

・反対意見、不支持の姿勢を、一切認めない。
 個人においては暴言レベルの悪口、陰惨な陰口となって現れ、
 組織の内部においては放逐、外部においては批判の槍玉に上げる…という形で現れる。
・その割には、人から支持されたい…という思いがものすごく強い。
・イレギュラーが生じた際は、その責任を周りにかぶせる。
・「例外」に対し、強い否定、強い拒絶を示す。
・例外的な事象は「排除の対象」でしかない。



総合すると、こんなことが言えます。

・多くの人や組織には、どこか信頼に足らない部分がある。
 まずはそれを、事実として認める必要がある。
・その上で、可能な限り、少しでも「例外と向き合おうとしている」姿勢を示す
 人や組織と付き合っていくようにする。
・また、僕らは人から信頼されたかったら「例外」を事実として受け止めた上で、
 反対意見や不支持の姿勢の裏にある理由を推察し、そこから学んでいく必要がある。
 理解できる点は積極的に理解し、改善すべき点を改善していけば、
 人や物事に対して寛容になるし、不測の事態への備えへと変わっていく。


信頼できる人や組織を上手に見分けつつ、僕らも周りから信頼されるように、日々「例外」と上手に向き合い、自分を磨いていきましょう♪


posted by Riot at 11:16| Comment(5) | 徒然語り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 何時も、コメントを読んで頂き、丁寧なご回答を下さり有難うございます。
 私は意見を言う事や、文章を書くことがあまり得意では無く。
 よく人から、何を言いたいのか、結局お前の立場はどうなのか、どちらに賛成なのか、判らないと、言われます。
 やはりややこしく考える癖が抜けないようです。
 私自身は、
何かの選択において自分では無い誰かの意見を参考にしたり、その意見に賛成する場合、
 何をとるにしても、世のいろいろな言説も、それぞれに傾聴するべき面があるし欠点があり、また自分の考えも、そうである。
 何が正しいかは、判らない中、なるだけ公平に考えられるよう。
 選択肢を広くとるために、(選択肢の少ないものは純粋ではあるが脆い)いろいろな考えを聞くし、皆違うのだという事を認めるという意味において(其れに流されることの無いよう注意が必要だが、)「価値値相対主義であり、」
 何が正しいかわからない中でも、(何でもありなら社会が立ち行かず、なるだけ公平である必要はあるが一定の基準にそった秩序は必要だし、社会通念、常識、伝統、{自明と思はれるもの必ずしも自明には非ず、だし、社会通念、常識は不変では無いのもまた事実だが、それでも、}には培われてきた知恵というものがあるのを認め、)
自分の立場を選び、考えを持ち、自由意思で選択する(或は己の未熟、所詮全知全能足りえない人間であることをかみしめながらも何かを採り何かを捨て、選択せざる負えない。)という意味において「価値相対主義では無い。」
と考えております。
 前々回のコメントで教団の立場に味方するように解釈できそうな部分があるように見られるかも知れませんが、そういうつもりは一切御座いません。
 ところでもう20年ぐらい前の事ですが、
小説で、
 陳 舜臣 著 「耶律 楚材」
 という本が刊行され、新聞に載った其の本の宣伝文句に「フランス革命を遡る事、五百数十年前に武闘集団モンゴルを近代国家に近づけた男がいた。」と書かれており。上下巻購入して読んでみたのですが、
 日本でいえば平安時代の後半に生まれ、モンゴル帝国の宰相になった人物です。
 モンゴルの勢力が広がるにつれ言葉も文字も、人種も、宗教も、すべてに異なる領域を纏めて統治下に置くというのがどれほどの事なのか、と思いました。私的領域を超えた公共(公という考え)というものを取り入れなければ、カバー出来ない範囲の領地をもった国の宰相の労苦の一部が判ります。思想や統治方法に近代国家的要素が、西暦1200年代であるにも関わらず、出てくるわけですね。
 政治を目指すからには、少なくとも対象とするすべてを含むわけですから、当然対立する利害や、ひとくくりにしようとすると出てくる、そこからあぶれる例外に向き合わねばなりません。
切り捨てれば済む問題では無くなるはずです。
 ここまではマクロの事ですが、
自分自身の事にも(自分は度量の広い、寛容な人間だと言う前に)胸に手を当てて考えてみる必要はありそうです。
 然しそういう人や組織は稀有なんだという認識を持ち、其れを相手に求める前に、その(そうでは無いという)事実に対し寛容であることから始めるのがよろしいのではと思います。
Posted by 絵描き at 2012年05月22日 12:47
>絵描きさん

どうも、Riotです。

意見を言うのが得意ではない…全然そうは思いません♪ 「意見をわかりやすく伝えることが苦手」なだけかと。自分の中で結論を明確にしておくといいかもしれません、それだけで全然違います。
僕も、人と会話してるとそうなりがちなのですが、頭の中で色んな考えが浮かんで、それを全部思いつくままに表現しようとして、出てくる言葉がグダグダになっちゃうんですよね(苦笑)
シンプルに伝えること、お互いに心がけたいものです。

絶対的に正しいものなんて、ない。その中で、何を信じたいかは、自分の心が、自分の思いが決めるものだと思います。
だとするならば、自分の心、自分の思いが、どういうものであるかが、とても大切になってくるのかな…そして、自分や周囲とどう向き合っていくかが大切になってくるのかな…なんてことを思いました。

政治に絡めて。マクロ的な視点だと、どうしても「切り捨てる」発想になりがちなんですよね…それか「システムによるセーフティーネット」という発想。全てを合理的に考えようとすると、現場の雰囲気、人の心の揺らぎを感じ取れなくなってしまう、そこが問題だよなーと思います。
「見下ろす」と「見下す」は紙一重です。難しいですね。

「例外と向き合う」は、もちろん、自分自身に対しても当てはまります。記事にしてみましたので、お読み頂けると嬉しいです。
Posted by Riot@管理人 at 2012年05月26日 21:23
趣旨的には違いますが、良い意味で類は友を呼ぶと
呼べる仲間と出会い顔から消えた笑みを取り戻すが出来ました。ローンウルフが私の立場でしたが、ナイスガイ揃いでマドンナがいて笑いが絶えませんでした。絵描きさんに、再度御礼申し上げます。追加支援並び援護砲撃・援護爆撃を有難うございます。

Posted by レギオン at 2012年06月14日 14:49
お久しぶりです☆
じっくり拝読させていただきました。

>「その人・組織が、例外と向き合っているか?」

何と言う、分かりやすく簡潔な表現でしょうか。すっと入ってくるのを感じました。

ザインを辞めた後、のめりこんだ(笑)趣味の世界でも色々とありまして、悩みが尽きない状態でした。自分に自信をなくしてしまい、自分も他人も信じられない状態になっていました。
技術を教えていただく"先生"と呼ばれる立場の方と、何故か上手くいかないことが多かったのです。

あ、私自身にも反省すべき点があるのは事実なんですけれども。

『私が悪いの?』と悩んで自信がなくなってしまいましたがやたらと他人に相談も出来ず、何年も引きずっていました。
しかし、この記事を読んでいたら『そっかぁ』と思う節が沢山あり、気持ちが楽になりました。


>・「例外」に対して、見て見ぬふりをしたり、強く批判したり、嫌ったりする。

特に、この部分が当てはまり過ぎて苦笑してしまいました。
私がやっている趣味の世界では、"先生"と言っても免許がある訳でなく、名乗ればその日から先生と言えてしまえる、雨後の筍状態(爆)な世界なものですから。
いい加減な世界ですね(笑)

色々な意味で、とてもプロとは言えない方々が多いことを思ったら、『なんだ、大したことない事で悩んでたんだ』と気付きました♪自分を責める必要もないと感じました。
人間だもの、合う合わないがあるのは当たり前、と言う思いに至ったのでした。

そんな中でも、素晴らしい方々に出会える可能性はあるとも思えたのが自分でも不思議です。
何だかんだ言っても、『楽しい!』と思えるものに出会えたので、気長に続けていきたいと思っています。
自分がこの趣味に行きついたのは、ある意味必然だったのかもしれないと思う事も多いのです。

Riotさんのブログは、本当に私にとってありがたく、頼れるブログです。

取りとめのないコメントで失礼しました^^;
Posted by みひたん at 2012年09月23日 22:57
>みひたんさん

どうも、ご無沙汰しております。いかがお過ごしでしょうか?

…まぁ、先生と呼ばれる人にも色々いますからね…

僕も、先生と呼ばれる人に頑張って従おうとすると、かえってうまくいかなかったので、お気持ちお察しします。

「素直に真似る」ことが必要な人もいれば、「自分の中で腑に落ちたことを大事にする」ことが必要な人もいます。これって、個性の問題であって、ルールとか価値基準とかの問題じゃないと思うんですよね♪

気が向いたら、こちらのブログにもお付き合い頂けると嬉しいです♪
http://ameblo.jp/kitamura-ryuan/
Posted by Riot@管理人 at 2012年09月26日 21:26
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