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2012年05月26日

「例外を意識する」と、イイことあるんです♪

前回の記事で、「例外と向き合うことが、信頼に足るかどうかを判断する鍵だ」ということを書きましたが、それに関連して、今回も「例外」との向き合い方について書きます。


例外に着目し、考える。
それだけで、頭が良くなりますし、騙されにくくなります。

例外に着目する…っていうのは、言い換えれば「正しいと思える主張や考え方、ノウハウの、ツッコミどころを探す」ということです。この「ツッコミどころを探す」行為って、思考力を鍛えるいい訓練になるんです。

僕らは「優れた人の言うことは素直に聞きなさい」という教育を受けて育っていますから、相手にツッコミを入れることそのものを、ためらってしまいがちです。
逆に僕らは、自分の感覚や価値観と相反するものに対してつい感情的になってしまうもので、相手にツッコミを入れる代わりに、感情的に否定したり批判したり、してしまうものです。

鵜呑みにしたり、否定したり批判したりするのは理解できますが、そんな気持ちを一旦脇に置いといて…自他を観察して、ツッコミを入れてみましょう。


観察のポイントを上げてみます。

・その意見・主張・ノウハウが、当てはまらない・効果が出ない場面はあるか?
 あるとしたら、どのような状況か?
・その意見・主張・ノウハウを、受け入れられない人はいるか?
 いるとしたら、どのような理由・背景が考えられるか?
・その意見・主張・ノウハウと相反するものは、存在するか?
 存在するとしたら、それは実際に有効なものか? また、そこにはどんな背景があるか?
・その意見・主張・ノウハウは、様々な角度からものを見た上でのものか?
・その意見・主張・ノウハウは、そもそも事実を基にしたものであるか?
 十分な検証が為されているか? 事実を捻じ曲げていないか?
 机上の空論、妄想の類ではないのか?
・その意見・主張・ノウハウには、自分の正当性を主張しようとするあまり、
 他者の言葉や様々な事例を引用し、それを我田引水な解釈で取り上げている…
 なんてことはないか?
・その意見・主張・ノウハウには、「当てはまらない・効果が出ない・受け入れられない」
 ケースに対し、思慮や洞察があるか?

 

これらに着目していると、相手の真贋を見分けることができるようになります。また、相手がどのような相手を対象にものを言っているかを、推察できるようになってきます。
また、自分に対し、このようなツッコミを入れていくことで、自分の考え方が補強されていきますし、価値観の合わない相手に対し、感情的に振り回されることもなくなってきます。

ぜひ、日々の生活の中で「ツッコミどころ」を探してみてください♪



posted by Riot at 09:42| Comment(3) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 批判したり、否定したりも、本来なら、
 対等な相手との討論であるなら、自分の意見を述べお互い議論をしているだけにすぎないはずなのですが、
 そんな場合でも、だんだん反対意見を述べるだけの事が何故か相手の人格否定につながってしまい討論で無い泥仕合になる事もあり、
 感情的にというのは理解できるのですが、やっかいですね。
 逆に突っ込み所を探すというのは、冷静な行為ですね。
 優れた人の言う事を素直に聞くという教育を受けて育っているという事ですか。
 小学校へあがる前、生前の祖母に、
「先生の言う事は素直によく聞きなさい。」
と月並みだが、孫に対する愛情をこめて言われたのを思い出しました。
 しかし考えれば現代の学校教育では、それだけではなく、
 答えの出ない問題を考えさせたり、
 発表させ本人の意見を言わせたり、
 クラスの討議でルールを作らせたりと
 単に言う事を聞かせるだけでは無い事も結構させているはずなのに、自分にとって学校のカリキュラムでは自主性や責任ある自己決定能力(自由に生きる力)は残念ながら不十分にしか身に付かなかったかなとしみじみ思います。(何故そんな事をさせているのか小学生の頃の自分にはわからなくて当然ですが。)
 観察の方法を読みましたが、なるほど其の方法でザイクスを冷静に観察したのが、
「結局、小島がザイクスでやりたかった事って、、、」に書かれた内容なのですね。
 前にも書きましたが、やり方は有難く参考にさせて頂きます。
Posted by 絵描き at 2012年05月29日 20:58
>絵描きさん

あれですね、討論といっても「共通の事実認識に基づいたものであるか」「何を目的とし、どこに着地点を見出すか」がクリアされていないと、ただの自己主張のぶつけ合いになってしまうだけなんですね。それぞれの立場を主張して、相手を批判して押しのけるだけに終わってしまって、結果、何も生まれない。「朝まで生テレビ」とか、まさにそういう感じですよね(苦笑)

学校教育では、考えさせたり、自分の意見を言わせたりする場面があるのかもしれませんが、悲しいかな、ここは日本でして… 学校教育の場以上に、色んな人間関係の場において「空気を読むこと」を要求されることが実に多い。その中で、自主性や自己決定能力が、十分に育たないケースがあるんですね。

その一方で「空気を読むこと」はできても、「相手の立場を知り、想像し、配慮し、建設的な答えを出す」ことをしてこなかったばかりに、自我をしっかり持とうとすると、自己主張のぶつけ合いになってしまう。

こうした問題は、公教育だけ変えてもどうにもならないかな…と思います。多くの大人が子どもに「事実を様々な角度から観察し、考え、対話し、決めていく」姿勢を見せることも必要でしょうし、ひとりひとりの「問題意識」「気付き」も必要かと思います。

Posted by Riot@管理人 at 2012年06月03日 12:08
「朝まで生テレビ」の例え。
実に分かりやすい例えですね。有難うございます。
早速自分のコメントの突っ込み所を探してみますと、
まず、
{対等な相手との討論}
日常の人間関係でそういうことは稀ですね。(人間2人集まれば立場や、或は意識において上下関係が出来るような気もします。)
{言う事を聞かせるだけでは無い事もさせている}
させていると言っても中途半端である事は否めないですね。もし、させているを通り越し、本当の意味で自発的な行動をとられた時、(しかもその行動が筋が通った真っ当なものであったとしても)
其れを認められるほどの度量が教育者側にあるかどうかという事です。責めているわけではありません。(責務が伴う教育者にとって常識的には管理できる範囲を超えるものは認めるわけにはいきません。理不尽と言うなら其れを教えるのも教育です。)致し方ない。
と言った事を考えました。
「空気を読む事」についてですが、
一昨年前亡くなられた社会学者の、
小室直樹博士が、彼の友人であった、
評論家の故、山本七平氏(「空気」という概念をはじめて著作の中に定義づけた。)
の論を引用して、
「日本は空気支配の(ルール オブ ニューマ)の国である。」
と、著作の中に書いてあったのを思い出しました。(ニューマとは場の雰囲気の事。)
日本社会を生きる上で不可欠の処世術として、小学生高学年ぐらいには身についてしまうのですね。
日本は何十年たっても其の習性は変わっていない。
K Y(ケーワイ)という略語を作った当時の女子高校生たちも、恐らく山本七平氏や小室直樹博士など知らない(偏見で物を言ってすみません。)でしょう。然し脈々と続いている。
ドキュメンタリー番組を見るにつけ、日本において過去の政策の失敗を反省する政治化や軍人の方の貴重な意見を拝聴すると、そこには、場の空気に流された(或はご時勢に逆らえなかった)痛切な悔恨があります。空気を読むことは破滅につながるかも知れないと知りつつの一時の自己保身の場合があるのでしょう。一見、周りを白けさせないように気を使っているようでいて自己保身と言う一面があるから、相手の立場を知り、建設的な答えを出すのとは反対の事になると思います。
私も大いに反省するところです。
Posted by 絵描き at 2012年06月06日 20:47
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