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2012年10月07日

「弱さゆえに」カルトにハマるって、ホントかな?

たまに見かける言葉なんだけど…

「カルトにハマるのは、自分が弱いからだ」

僕も、数年前まではずっと、そう思っていたのだけど、
うーん、これって、本当なのだろうか?


よく、人のことを「弱い」「強い」っていうけれど、
じゃあ、その基準って、一体何だろう?

僕が思うに…
「強い」って言われてる人は、
色んな苦しいことを乗り越え、意志し、行動し、
物事を成し遂げていく人だと思う。


その一方で、人が生きていく中で、
苦しいことから逃れることは、不可能だ。

どんな生き方を選ぶにせよ、
それなりの苦しいことが、必ずやってくる。
お釈迦様の、言う通りだね♪


避け難い、いろんな苦しみに直面しながらも、
それらと上手く関わり、乗り越えていくことを
世間では「強さ」と呼び、

いろんな苦しみに直面した挙句、
心がグサリと傷ついて、

強い苦しみ、悲しみ、怒りでいっぱいになったり、
心を閉ざして、孤独感でいっぱいになったり、
自分はなんてダメなんだ…と無力感でいっぱいになったりして、

結果として、苦しみに上手く対処できず、
また、目の前の出来事にも上手く対処できないことを
「弱さ」と呼ぶのだと思うんだよね。


「強さ」とか「弱さ」とか、
そういう括りで考えてしまうと、

辛くなってしまうし、
つい、弱い自分を責めてしまいがちだ。


世間では、「強い」ことが憧れの対象となってもてはやされ、
「弱い」ことは、ともすれば侮蔑の対象となるから、

僕らはいつの間にか、「弱さ=悪」という価値観に、
縛られてしまうんだよね。


でも、
痛みや苦しみに、うまく対処していくことが「強さ」で、
うまく対処できないことを「弱さ」と捉えてみることで、

自分を責める気持ちが、ちょっとラクになって、
「どうやったら、痛みや苦しみに対処できるだろうか?」という、
建設的な気持ちになってこないだろうか?


僕は、痛みや苦しみって、
受け止め、受け入れ、対処し、乗り越えていくものだと思う。

でも、人って、痛みや苦しみを否定し、
その結果、現実から逃避し、対処できず、
なかなか、うまく乗り越えていけないものなんだよね。

それが、結果として
「弱さ」とか「甘さ」と言われるものに、なるわけだ。


「自分が弱い」
「自分が甘い」っていうのも、

カルトにハマッてしまうのも、

言葉を変えれば…

痛みや苦しみを、どう受け入れ、
どのように向き合い、どのように付き合っていけばいいか、
ただ、分からなかった…ってだけなんだよね。

だからさ、
今までの過去を反省するにせよ、
これからの未来を生きるにせよ、

「弱さ」「甘さ」という枠組みを
いったん脇に置いてさ、

色んな痛みや苦しみを、どう受け入れ、
どのように向き合い、どのように付き合っていけばいいか、

どうやって、そういう苦しみに対処し、乗り越えていったらいいか、

そこに、意識を向けてみることが、大切なんじゃないかと思うんだ。

そして、日々の自分の心と、
うまく向き合っていき、上手に付き合っていくことが、
本当に大事なことだと思う。

これ、自分が強かろうが、弱かろうが、関係なく、
誰にとっても等しく、必要なことだと思うんだ。

そうでないと、心が痛んだときに、
「自分が弱いから、心が傷つくんだ」って思って、
自分を責めてしまうことに、なってしまうからね。


そして。
誰もが、自分と上手く向き合えれば、
カルトなんて、存在できなくなると思う。

だって、自分の心の喜びや痛みと、上手く向き合えて、
心が痛みを感じる度に、その都度、対処できてる人に、

「こうすれば簡単に、願いがかないますよ」とか
「アイツらが悪だ、間違っている、我々が正しい」とか言っても、

ぜーんぜん、動じることがないからね。


まずは僕自身が、自分とうまく向き合える人になる。
そして、自分と向き合える人を、世の中でいっぱいにする。

それが、最高の「ザインへの復讐」であり、
今いちばん、心ときめくことなんだよね。



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ちょっとコメントへのレスでも書いたことですが、
しっかり伝えたいなーと思ったことなので、
改めて記事にしてみました。

(なんか、龍庵な文章になってしまった、これも愛嬌やね)





posted by Riot at 20:32| Comment(2) | 徒然語り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 以前「つぶやいちゃってます」に載せられていた事と合わせて考えてみました。
 「・・・凹ませてくれる人の方がどちらかと言えば多い・・・(ちょっと言った位で、それで凹むのなら、どの道通用しないから、根性を叩き直すため鍛えてやろうというのが行き過ぎて、かえって委縮させてしまいやる気を引き出せない。)」や、
 「ほめると調子に乗る(出来て当然であり、少しうまくいったぐらいでほめれば、「自分はまだまだだ。」という謙虚な心構えや向上心が消え、増長し、有頂天になり失敗するという思いもあるかとは思います。)からほめない・・・。」や、
 「人生は厳しいもの、それを肌で感じている人が多いから、世の中には厳しい事を言う人が多い・・・。」と、
 共通している部分が多いと思いました。
 世の中の評価基準の多くは「減点主義」で成り立っており、其れで社会も発展してきた。其れはそれで、立派だし評価に値する豊かな社会には成っていると思う。
 そんな中、人生嘗めてはいけない、甘えてもいけない。油断は禁物。隙を見せてもいけない。タフで、少々の事があっても泰然としてやり過ごし、とことん自分に厳しく、弱音、泣き言を、言わず、生産性と効率を追い求め、あらゆる困難にめげない。
そう在りたいのに、そうなれない自分の存在価値を「甘いのではなく、」それこそ「自分に厳しい」からこそ責めてしまうのかもしれません。
 ある弁護士の方から、「カルトにはまる人って真面目で向上心が強い人が割と多いのだよ。」と、
聞いたことがあります。そのあたりにもつけいる隙があるのかも知れない。
 少なくともザイクスは人間的な感情を捨ててでも、超然とした強度を要求しているみたいですし・・・。
 話は少しそれますが、先日ある時計修理屋さんで
傷のつかない、極めてすり減りにくい、非常に硬い合金でできた腕時計の話を聞きました。其の腕時計は、「傷はつかないのだけど、硬過ぎて衝撃に対し脆いんだ、素材に粘りが無いんだな。」
とのことでした。
 強さを追い求め過ぎると粘性が無くなり脆くなる。硬直した強さでなく、粘性のある強さが必要なのは人生にも言える事かなと、其れをこの時計職人さんは職業を通じて肌で感じているのかもしれません。(職業を通して自分と向き合っている。)
Posted by 絵描き at 2012年10月08日 22:19
>絵描きさん

あれですね、厳しさも、時と場合によりけり、です。
ずっと厳しいばっかりだと、心は休まりません。不安でいっぱいになり、ますます萎縮するようになります。

その一方で、(たとえ善意であれ)厳しくする相手に反感を持ったり、恨んだりする気持ちが強くなってくる、と。

厳しさでもなく、やさしさでもなく、「ちゃんと見守ってあげて、相手に伝わるように、許してあげる」ことが必要なんじゃないかなと思います。

強さにこだわればこだわるほど、それは自己否定につながる。そして、その結果、ますます強さから遠ざかる…

一度、「強くあるべきだ」というモノサシを脇に置いてみることが、本当は必要なのだと思います。
Posted by Riot@管理人 at 2012年10月09日 19:29
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