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2012年11月08日

ぜひ読んでもらいたいブログ記事

私・Riotが読んでいて「ホント、その通りだなぁ」と感じ入るブログ記事がありましたので、
皆さんにもシェアいたします。

副住職の法話推敲記録ノート・宗教の仕組みと危険性


宗教といいますか、「信じることがもたらす、力と怖さ」について、
わかりやすく書かれております。


僕らは、それぞれの信じるものに目を向けるあまり、
目の前の現実を、疎かにしてしまうことがあります。

本当は、何を信じるにせよ、
しっかりと現実を見据えて、その上で、
色んな方面からものを考えて行動したほうが、
実りも多いものになるのです。





posted by Riot at 17:00| Comment(4) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
わかりやすくて、いいブログですね!(^○^)
Posted by アクエリアス at 2012年11月05日 07:55
>宗教といいますか、「信じることがもたらす、力と怖さ」について

分かりやすい言葉で、大切なことを綴っているブログでした。私にとってもずーーっと考え続けているテーマで共感しました。

何か(自分自身も含めて)を信じることって、とても大切だと思います。社会の営みや人と人との繋がりの根底にある「心」そのものが脆く危ういものだと、過去の経験から強く思うからです。

なにかを信じる営みは心の働きそのもの。そして、信じる行為が心を強く美しくする場合も数知れずあるのです。

カルト批判を通じて、反省を重ねて、心や社会といった今まで軽視していたものの大きさに改めて気づかされています。

大変だと思いますが、今後もブログ更新を楽しみにしています。
Posted by 京 at 2012年11月05日 12:40
 ブログを拝読させて頂きました。僧侶で在られる方の発言で有る事に大変失礼ながらある種の驚きと、読ませていただきながら、初めてと、2回目あたりにRiot氏のブログ記事にコメントさせて頂いた頃の自分の事を思い出しました。
 「カルト宗教の危険性の事を指して言っている事についてだが、其れに限らず世の宗教というもの、或はもう少し広範囲に考えればそれぞれの人にとっての行動規範、主義、信念、(社会の制度やルールですら何らかの信念にもとずく価値基準を基に設計されたものであるなら其れも含め)『同じ傾向はないのか、』
 新興宗教に対する伝統宗教側からの批判は自らに同じ傾向『宗教そのものが持つ排他的傾向』をもつという部分を棚上げして自らの矛盾に目をつぶる事にはならないのか。(正義を振りかざして、聖なる怒りに燃えての迫害、宗教戦争、異端審問、等や、そもそも伝統宗教といえども成立時に遡れば時の権力、支配者に対して危険思想であり反社会的勢力とみなされる事も多かったのではないか。)」という疑問がずっとあったのです。 
 そんなだったから、1年前ぐらいですが、あの当時の自分のコメントを改めて読み返してみて、実にイヤミの多い皮肉屋的な文章だなと思いました。
 狂信を狂信的に嫌うのもまた1つの狂信だと反省してます。
 その上でですが、京氏の言う事もわかるしもっともだと思う。信じる事に由る人間の素晴らしい行動や可能性はまさにその通りでしょう。しかし思い込みによりそれだけの(或る時は自己犠牲的で在ったりする)行為が出来るという事は狂気と紙一重の部分と切り離せない所が有ります。
 まじめ一方である事は視野狭窄であり狂気を孕む場合がある。これは他人事ではありません。
 何らかの根拠により成立するもう一方の事、或は一方どころかあらゆること。自分は何を選ぶのか。それにより他方を否定するつもりは無いし、どちらが正しいかではなく自分によりしっくりくるものを選べばよいと思います。(制度、ルールも、手続きをふめば合意形成により変えていく道筋もあります。)

Posted by 絵描き at 2012年11月11日 20:42
>アクエリアスさん

仏教(禅宗・上座部仏教)のことが、とてもわかりやすく書かれているブログですよね。
僕もじっくり読ませて頂いて、仏教というものへの理解をより深めることができました。


>京さん

あれですね、このブログを読んでいて気付いたことでもあるのですが…
「信じる」という思いや行為は「信じられない」気持ちの裏返しであることが、とても多いように思います。

だとしたら、何を信じられないか? それを考えてみるのもいいかもしれません。

…適切なレスになっていないかもしれませんが、京さんのレスを読ませて頂き、そんなことを思いました。


>絵描きさん

あれですね、「信じる」という行為に付随するあらゆるものを事実として認めることが、大切なんじゃないかなと思います。

自分が信じるものと、真っ向から対立する他者の存在。
自分が信じるものに、存在する例外。
それらと、どう向き合っていくか?

そもそも、なぜ自分はそれを信じるのか?
どういう経緯で、どういう気持ちの変化があって、それを信じるに至ったのか?

こういったことに、答えを出していく必要があるんじゃないかな、と思います。
Posted by Riot@管理人 at 2012年11月13日 05:27
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