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2014年02月17日

例外に目を向け、踏まえることの意味と大切さ

ちょいと厳しい内容になるけど…
木坂健宣さんのメルマガで、ウンウン頷ける記述があったので引用してみる。

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1.「脱バカ・脱大衆」するための第一歩は、個人的な好き嫌いと
客観的な価値・評価を分離する訓練です。

2.そして次に、客観的に対象を「理解」する努力を徹底して
行うこと。

3.そうすることで自分の中に「価値の基準」が作られてきます。
これは「価値観」というものから主観性を抜き取っていった、
判断の尺度になる重要な道具です。

4.これができてきて初めて、自分の人生を自分で決断して、
つまり自分として生きていくことができるようになります。

5.それができない「大衆性の強い人」は、総じて人生の満足度や
幸福度が低い傾向にあるので、是非その負のスパイラルから脱して、
自分が望む人生を生きられるようになりましょう。


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えっと、つまるところ…
いわゆる「他人から見てバカに見える人」(かつてザインにハマッていた僕らとか、そうやね)っていうのは、個人的な好悪の感情と客観的な価値・評価が一緒くたになっている。

だから、自分の信じるものや好きなものに執着し、嫌いなものを叩きたがり、客観的な事実になど目もくれなくなってしまうんだね。

自分の好き嫌いだけで物事を判断し意見を言うから、他人の話を聞けずぶつかり合い、傷つけたり傷つけられたりする。
自分の思ってることだけに意識を向けているから、実際のところどうなのかに着目できず、自意識を過剰に膨らませたり、不安とか怒りとかを深めたりしていく。
客観的な事実を確認することを拒み、怠るから、人から騙される。

さらに、それがあまりにも度を超すと、人語を使い一定以上の知的レベルを持ち人語を解しながらも、人の話を撥ね付け、馬耳東風で聞き流し、右から左に受け流し、客観的事実よりも気分や感情を圧倒的に重んじて生き、知的交流がえらく困難な「エモーショナルモンスター」になってしまう、と。(ロカンさんみたいにね)

僕は常々「例外の存在を頭に置こう、例外について考えよう」と言っているのだけれど、言い換えれば

「自分の主観を離れて、客観的に対象を観察・理解しようよ」

ということだ。

一部の人がカンチガイしてるようだけど「自分の主義に反する例外を認め、受け入れよう」(=みんな違って、みんなイイ♪)という文脈ではないんだね、

自分の主観に固執せず、

様々な立場の主観や客観的事実の集合体である「現実」を受け入れ、

それを踏まえた上で、
自分の意見やモノサシを自分の中に育てていこう、

ということなんだ。

まっ、簡単ではないけれど。
僕もその道程の最中だけれど。

「自分の中の主観と客観」を注意深く意識して普段の自身の言動をチェックしてみたり、主観を離れて対象や状況を観察するよう心がける価値は、大いにあると思う。




posted by Riot at 00:00| Comment(8) | 徒然語り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 失礼致します。

 、、、、、その様にして、選択して、何かの行為を行ったり、無作為であったり。 

 それが、「自に由る」(みずからによる)
つまり「自由」という在りようなんでしょうね。

 あと、どんな状況で、どんな気持ちで、選択したとしても、
(「厭々」や「仕方なく」は、後々、後悔や、そうせざる得なかったという言い訳になりやすいのでなるべく避けたいですが、)
 一旦選んだからには、「自分がそうしたくてした」或は「その状況の中では一番ましな選択をしたのだ」と言う事を自らに認めるのがよいかな。
Posted by 絵描き at 2014年02月16日 11:14
>絵描きさん

大体、そういう感じですかね、うん。

ただ、僕らの日常においては「つい、無意識のうちにやってしまうこと、無意識のうちに反応してしまうこと」が多く、意識的に選択する余地なきままに不本意な結果を突きつけられることもまた多いのですね。

だからこそ、「自分以外に目を向ける努力をしたら、かえって選択肢が増えるし、ラクになるんじゃないか?」と、そういうのがこの記事の趣旨なわけでございます。

あれですね、言い訳をすること自体「事実を踏まえて、自分の想定の外側に意識を向けて、考える」ことを拒否する言動ですので…気持ちはすっごく分かるんですが、発展性に欠けるのですね。

「嫌々」「仕方なく」やったことでも、自分がそれをメリットだと認識して(あるいは錯覚して)やったことなわけですね。
その「嫌々」は、表層にのぼってくる感情であって、もうちょっと奥のほうでは、もう少し違うことを考えているのかもしれません。そこに気付ければ色々変わるはずだと思うのです。
Posted by Riot@管理人 at 2014年02月16日 12:41
2ちゃんねる、サーバーダウンしちゃいましたね…。
Posted by 雪 at 2014年03月03日 15:29
>雪さん

2chのサーバーダウン(というかサーバーの移行かな)、今回はけっこう期間が長かったですね。
やれやれ、でございます。
Posted by Riot@管理人 at 2014年03月09日 19:55
 改めて読み直してみましたところ、思ったのは。

4、、、、自分として生きていく事が出来るように、、、。

「大人」とは、ただ一定の年齢に達したら成れるものではない。
 真に自律し、自立した、自由な人になるには、
今までに叩き込まれたもの、躾けられたもの、
身につけたもの、を、一旦手放した上で、定義しなおしたり、納得したりの作業で再構築し、真に自分のものにする必要がある。
 何回か同じ事コメントしたかもしれませんが、それが出来てはじめて「自分の人生を自分で引き受ける」事が出来る。と、益々思えるようになったと言う事です。
 親子げんかで、
「産んでくれって、頼んだ訳じゃねーよ!」
の、セリフが、
青臭いガキの言い分なのは、そういう事ですね。
 では、そのガキを馬鹿にできるぐらい自分は果して「大人」か?無意識的に自分の生を定義し直す作業(親が鬱陶しいなら、自分で決め自分で引き受ける基準を作らなければならない)している(せざるをえない)その青年を笑う事が出来るか、と言う事です。

 自分の基準が出来た後も、世の中は移ろい往く。100%の客観性を持つことは不可能。造る事ももちろん大事だが、自分の中の基準の限界も知った上で、頑迷固陋な、或は偏屈な思考に陥らないよう、時々検証し直す事も必要かと思います。
 また、一つの言説が、すべてをカバーしている様に見えるものは結構なように見えてかなり危険だという視点も必要でしょう。
 そのためにも、仰るように他人の話を聴けるという事は重要ですね。

 あと、かなり危険性もあるのですが、私の場合の癖で、
再構築の作業では「自明性」を疑う事がどうしても避けられません。
「ならぬものはならぬ」の、つまりは「タブー」をも、思考を停止させず疑う事もあります。

 漫画の話ですが、
天才の天才たる所以というか、
さすがバカ田大学を首席で卒業しただけある
と言うべきか、
バカボンのパパは、表情ひとつ変えず、
「いつ国会できまったのだ?」
と、平気で相手に返します。
その根拠を借りてきた理屈ではなく、
自分なりの言葉で、言い返す事が出来る人は
どれぐらいいるんだろうと。

 自分でも何とメンドクサイ性格かと思うのですが、自分なりに納得できて、初めて引き受ける気になれるのです。

 理不尽も、承知の上で引き受けられるようになるのはまだ先かなと思いました。

決して焦りませんけどね。
Posted by 絵描き at 2014年03月20日 23:39
バタバタしてしまい、遅ればせのレスすみませんm(_ _)m

>絵描きさん

僕はですね、ここ1年くらいの間で「自分って何だろう?」って思うことが多くなりました。
中学生みたいな青臭い疑問とか、そういうことではなく、自分自身の基準・思考・感情のこだわり、言い換えれば「これが自分だ!」と思っているところのものが、実人生をスムーズに生きる上での障害になっている、そういう場面がしばしばございまして。

自分であるところのものにこだわることが、人生を窮屈なものにしている。それが自分の人生だと、素直に納得できない「自分」もまた存在する。
うーん、「自分」って、僕ら自身が思ってるよりも、磐石な存在ではないようです。

とはいえ、自分を傷つけたり粗末にしたりする行為もまた、苦しみを生み出すことも確かなわけで。

「自分」から自由になれたとき、より鮮やかで力強い自分が見えてくる、そんなことを思う昨今なのでした。
Posted by Riot@管理人 at 2014年04月05日 21:39
こんばんは
この記事とても個人的に気になっています。
自分自身結構こだわりというか、思い込みが強い性格があります。
このためどうしても現実とのギャップが大きすぎると落胆してしまうのです。
特に現在働いている会社は異常社風が問題で約半分が「自己中で他人を拒み踏みにじる族」で構成されているというひどい環境です。
例えば、たまたま知り合った一人が「年代問わずに仲間が欲しい」と言いながら現実ではほとんど全く見向きもしないで関わってこない。こちらから働きかけてもメールでは最もらしいことを返答するだけで終了…。
そんな新人社員に振り回され損したり。
自分自身いろいろな場所で知り合いがいるので健全な意識感覚は維持できているのですが、本当に害および不利益をもたらす例外なモノはうんざりですね。
Posted by sagamiharasaisen at 2014年07月03日 23:12
<sagamiharasaisenさん

ザインを辞めて娑婆に出ても、ホントに色々残念な方が目につきますよね…
僕も色々とうんざりでございます。

しかしながら、うんざり気分が高じて、無意識のうちに気に入らない奴を自分の価値観で裁き続けるようになると、これがまた余計に辛いのです。

僕らの価値観がどうあろうとも、残念な人々はそれぞれに残念な言動を繰り返すものですから。

「あー、嫌だな」で済ませて、それ以上こだわらずに自分のやること・やりたいことに集中するのが、日々を快適に過ごす秘訣のようです。

…と痛感する、今日この頃なのでした。

Posted by Riot@管理人 at 2014年07月09日 16:01
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