[PR] サメ軟骨 ザイン・ザイクス・株式会社シリウス・天業古代王朝の、核石・聖品・実態・体験談 〜zynekiller通信

2014年04月05日

「信じること、思うこと」について、改めて考えてみる

しばらく前の話になるが、愛知・江南市にある永正寺のお坊さんである中村建岳さんのお話を拝聴してきた。
題して「宗教の仕組みと危険性」。

こちらのブログ(中村建岳さんのブログ)に、要旨が記事化されております

メジャー・新興を問わず、宗教が危険になるのは「信じて上手くいかなかったとき、さらに強く信じることを勧められる」ときだと中村さんは言う。
危険な宗教は、布施し(金を出し)、教えを広め(勧誘し)、迫害に屈しない(身近な人の忠告に耳を貸さない)、そういった信仰の証を立てることを要求する。
そして、強く信じることで、自分が信じるもの以外を否定する『他者否定』、そして自分が信じるものとそぐわない現実を認めず無視する『現実無視』という、2つの問題が発生する…という話だった。

うん、どこかで聞いた様な、体験したような話ですなぁ。

現代の日本では、大半の人々は信仰する宗教を持たず、信仰という行為にどこか精神的に距離を置いている。
その一方で、少なからぬ数の人々が、信じること、強く思うことで、120%の力が引き出され、夢や目標が達成できる、闘争に打ち勝つことができる…と、心のどこかで思っている。
神を戴く宗教こそ広く普及していないが、「精神論」という名の宗教は、その賛否はさておき、多くの人に信じられている(あるいは、反発の対象となっている)。

そう、僕らは、宗教はキライだけど、精神論は何だかんだで大好きなのだ(苦笑)

「思考は現実化する」に代表される成功法則とか、「引き寄せの法則」のような現世利益系のスピリチュアルとかは言うに及ばず、漫画やアニメやドラマなどの娯楽作品とかに至るまで、「強く思うことでうまくいく」という触れ込みに、フラフラと惹かれてしまう。

強い思いって、熱くて、力強くて、何だか不可能を可能にするような気がする。
実際、強い思いをもとに事を成した人の話(リアル・創作問わず)って、すっごくドラマチックだ。

満身創痍でボロボロの死にかけの身体で、第六感を超えた第七感に目覚め、奇跡的で圧倒的な宇宙パワーで、さっきまで一方的にやられてたはずの強大な敵を打ち倒す! みたいな(苦笑)

僕らの人生は、思い通りに行かないことが多い。自分の力が及ばなかったり、何かに・誰かに邪魔されたり、まぁ色々な理由で、思った通りにはいかない。
そもそも、我々の思い自体、日々の生活のドタバタの中で揺らいだり移ろったりする。

だからこそ「強い思いを以て事を成す」ことに、僕らは惹かれるのだろう。

しかし、強く思えばそれだけでうまくいくほど、現実は甘くない。
むしろ、思えば思うほど、それぞれの思いの正しさを主張するあまり、しなくてもいい争いを引き起こしたり、思いが高じて空回りしたり、目の前の事実を冷静に振り返り検証することができなくなったり、してしまうことが多いのだ。

こういう「精神偏重主義」の弊害って、ホント、ザインとか宗教とかに限ったことじゃない。
ビジネスとか、スピリチュアルとか、果ては日々の生活に至るまで、自覚のないままに「うまくいかないのは、気持ちが足りないからだ!」と思ってしまってる人、けっこう多いのではなかろうか。

例えば「寝坊するのは、起きようとする気持ちが足りないからだ!」とか「勉強に身が入らないのは、やる気がないからだ!」とか。

これ、ごくごく当たり前なことを言ってるようだけど、実際は、前者の場合「早く寝ていない」「目覚ましをかけ忘れた」とか、後者の場合「疲労で集中できない」「勉強以外の目先の楽しみに気をとられている」とか、そういった明確な理由がある。
それを安易に精神論で片付けようとすると、現実を把握して対処することが、思いっきり疎かになってしまうわけだ。

「早寝する」「目覚ましを2つセットする」「おめざを用意する」といった対処法をとらずして「起きる気がない」で済ませるのって、すっごく滑稽で愚かなことだと思う。
その一方で、精神論って、一見まっとうなことを言ってるように思えてしまう。そこがとても怖い。

まぁ確かに、何かを信じること、強く思うことは、時として大きな力をもたらす。
しかし、それって、意図して信じたり思ったりする、そういう種類のものではないんだよね。

例えるなら、特に好きでも嫌いでもない、接点があるわけでもない異性を「私はこの人を好きになる、好きになる、好きになる!」と強く思ってみても、ちっとも好きにならないのと同じことだ。
そんなことをしても、心はときめかないし、ドキドキもしないし、この人を大切にしたいという気持ちにもならないもんね。

信じようとする、意識的に強く思う、そういう意図的な行為を超えたところに「信じること」「思うこと」の力と素晴らしさがあるんじゃないかな、と僕は思う。

posted by Riot at 22:35| Comment(4) | 徒然語り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
失礼致します。

「世の中には、前提条件の違いにより、かみ合わず分りあえず平行線になる現実があると言う事」

ただし、

「信念を持っていること自体は別に悪い事ではない事、義務感や何かを我慢するためにそれを言い訳にするのではなく、本当に大好きで、したいからするのなら信念は心の支えになる事」

しかし、

「善意のおせっかいは、押し付けとなり、時として惨事にもなると言う事」

他人に否定されたり拒否されたら、自分の存在が否定されたようで腹も立つだろうし、哀しいだろうが、それでも、

「自分に大切な聖域があると言うなら、他人のそれや、良心の自由、主体性をも認めなければならないと言う事」

これを前提に付き合えるといいですね。

ところで、ある社会学者の定義によると、
宗教とは「行動様式」であるそうです。
それに倣うなら「精神偏重主義」も宗教と言えるかもしれません。

スピリチュアルにも色々あるようですね、
なにか一方の命題だけに傾き他方を否定するのはこの世界の持つ2元性のバランスという特性上、成り立たない。と言っている方もいるみたいです。
「引き寄せの法則」と言うのもあくまでその範囲内での事なのかなと思います。
Posted by 絵描き at 2014年04月07日 22:16
>絵描きさん

分かり合えたり、理解できなかったり。
信念が力になったり、足枷になったり。
善意が人助けになったり、おせっかいになったり。
傷ついたり、傷つけたり。

そんなことを繰り返しながら、人は色んなことを体験し成長していくものだと思います。

人の心のありようは色々で、時とともに移ろうものです。それらは二元論で片付けられるほど単純なものではない。

自分や他人を「変わらない」ものではなく「変わりゆく」ものだと捉えたとき、色んなことが許せて、どんな事実も踏まえられるような気がいたします。
Posted by Riot@管理人 at 2014年04月08日 05:50
精神主義って念力主義ともいうそうな。

 思い込んだら、脇目を振らず精進して、巨人の星をつかむ事があり得る人もいるところが、また、一筋縄ではいかない世の中の奥深さであり、面白さ、味わいなんでしょうね。
 そこを楽しめる心の余裕が、当事者になると、そんなこと言っていられない。

 かみ合わなさってはたから見ると本当に喜劇ですね。
「それぞれの正しさを主張するあまり、、、」
これ、
「あなたがそう思うなら(私にとっては心外であり、誤解だが)そうしたらいいし、そう思いたいのならいつまでもそう思っていたらいい。私は別に啓蒙活動している訳ではないし、別に私が同意しなくても、主張が違っても、私と意見がかみ合わなくても、あなたは堂々としていたらいい、間違ってはいない。
あなたの言う事正しいですよ、本当に」
「貴方の人生はあなたが主役、貴方は貴方の道を行け、
若し他人の意見を聞いたうえで、自分の意見が(あなたが私の或は私があなたの)影響されたり、受け入れたり、宗旨替えすることが有っても、それはまたそれでOKだ」
と言う事で済む話ですよね。
 それぞれにとっての前提条件が違うかもしれないと言う事を見落とすと言うより、前提条件は同じだと言う幻想にとらわれているような気がします。

「、、、、時とともに移ろう、、、」

 仰りたい事とずれますが、時系列がずれると、と言うより、改めて振り返ってみたら、、、という視点も物事を第三者的に観れて、相対化できると思います。
 相対化って普通、その集合に属さないニュートラルな第三者の観察によってなされると思うのですが、過去の私自身を他人目線で振り返る場合、大体が、あ痛!タタタ、、、な黒歴史的喜劇になりますが、自他のそれぞれの事、いろんな事がそうやって消化され、昇華されていけば、

「色んなことが許せて、どんな事実も踏まえられるような気が、、、」

いたします。

Posted by 絵描き at 2014年05月09日 00:55
>絵描きさん

精神論でうまくいくなら、それもよし。
うまくいかないなら、きっと別の方法や視点が適切なのでしょう。
エラい人、すごい人、優れた人が言うことですら、そうなのですが、僕らはつい、そういう人々の言葉を絶対的なものとして捉えてしまい、かえって迷ってしまうのですね。

まっ、多くの場合は、何でもいいんですよ。
だって、間違ってたら、軌道修正すればいいだけなんですから。

時とともに移ろう…とは、単純な時系列のズレではありません。
物事を客観視するには、人間の内面模様や現実の事象も時とともに移り変わっていくものだという認識も必要、ということです。

僕らは内外の現実を「固定化されたもの」と捉えてしまいがちで、それが元で悩みを大きくしてしまったり、物事を第三者的視点で捉えられなくなったり、してしまうのですね。

消化とか昇華は、時間の経過を伴う移り変わりによって成り立つものでもあります。

Posted by Riot@管理人 at 2014年05月09日 06:07
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

このブログでは、SEX教団・ザインザイクス天業古代王朝シリウス核石・の、内情と実態を書き綴っております。
シリウスは、詐欺まがい・押し売りまがいの霊感商法、性の儀式、軍事訓練などを行っております。
シリウス核石のことを知りたい方以外にも、ザイン(シリウス)を辞めた方、
ザイン(シリウス)を辞めようと考えている方、ザイン(シリウス)を辞めた元会員の方々・現在もシリウスに在籍する社員・会員の方に
ご覧になっていただきたいブログです。