[PR] サメ軟骨 ザイン・ザイクス・株式会社シリウス・天業古代王朝の、核石・聖品・実態・体験談 〜zynekiller通信

2010年07月01日

「自分の言葉」で語るということ

ザイクスと呼称が変わった現在はどうなっているのか分からないが、
ザインでは、よく
「軍帥の思想を、自分の言葉で語るように」と言われていたことを、
ここにきてふと思い出した。

思えば僕は…
過去を振り返る文章を書くまで、自分の言葉で
ものを語ってはいなかったんじゃないだろうか。

いや、全く自分の言葉でなかったわけではなく…
「誰かに叩かれたらどうしよう」とか、そういう保身の意識があって、
そのせいか、文に生きた感情が込められていなかったように思うのだ。


ブルーホールさんのブログを読んだことも、きっかけだった。
彼女の本音は、その当時の生の感情が込められた文章は、
どんなに趣向を凝らした言い回しよりも説得力があった。

彼女に倣い、自分の記憶と感情を吐き出したことで、僕は一皮剥けた気がする。
この場を借りて、改めて彼女にお礼が言いたい。

ありがとうございました。


…閑話休題。

自分の言葉で語るということは、本音を生の感情で語るということ。
そこには、これまでしてきた体験とか、過ごしてきた時間が裏打ちされている。
だからこそ、自分の言葉で語るということは、
同じような感性を持った人、同じような体験をしてきた人々に対し、
ズンと心に響く説得力をもたらすのだ。

時々言われてきたことだが…
ザイクスにおいては、「軍帥の思想を自分の言葉で語れ」と言いながら、
その実、会員からは、小島の言葉のオウム返しのような言葉しか聞こえてこない。

考えてみれば、それは当然なのだ。
彼等の言葉は単なる理屈で、ザイクスの中でしてきた体験や、
その場その場の生の感情のうねりが感じられない。

彼等は、小島露観の理屈に、生の感情や生き方まで支配されてしまっているから、
面白いことが言えない、書けない。
恐怖心を煽り立てる以外では、人の心を揺さぶれない。

例えば…
誰だったか、彼女と別れたのを「自由恋愛がどうこう」書いていた軍士がいたが…
お前、それ奇麗事だろうと、僕は言いたい。

嫉妬、怒り、寂しさ、喪失感、孤独感…
ただ単に言葉を並べただけでは、そこに生の感情が込められていないのが、
今の僕には、分かるのだ。

結局、自分なりに悩み、葛藤にケリをつけるよりも、
小島の理屈を信じきることで、その感情を見て見ぬフリしたんじゃないか…なんて
穿った見方をしてしまう僕は、少し意地悪だろうか。

そんなわけで、軍士は、つまらない。
軍士になると、人間に面白みがなくなる。

何故なら、
本音を言えないから。
本音を見失っているから。

今の軍士のほとんどが、自分の体験や感情をありのままに自分の言葉で書けば、
どうしたって、今の生活の苦しさに触れざるを得まい。
苦しくない、苦しさを感じさせないのは、ハッキリ言って嘘だ。

自分自身に、不特定多数の読者に嘘をつくしかないから、
結果、つまらない文しか書けないし、つまらない事しか言えない。

言葉は、力なのだ。
ただの理屈じゃない、生の感情や、実体験が込められた言葉って、
ツボに嵌まれば、人の心をものすごく揺さぶるものだと思う。

カタカナ言葉がどうとか昔言っていた誰かさんは、
そういうことを、すっかり忘れてしまっているのだろう。
だから、その部下は「爽やかな高士」どころか「面白みのない人間」ばかりなのだ。


とはいえ、軍士の多くは、
頭の先から爪先まで「つまらない人間」というわけでは勿論なく、
本音を言いたくても言えずに、我慢を強いられている人も多いと思う。
小島の言葉をオウム返しに喋っているような人でさえも、
内心に迷いや疑問を抱えている人はいるかもしれない。

元々は、皆、血も涙も通った、温かみのある人間だったはずだ。

それが、小島の薫陶のおかげか、いつの間にやら、
言葉に血も涙も通わなくなっている。
それって、とても悲しいことだし、とても怖いことだと思うのだ。


※現役軍士を貶す文章であると誤解されそうなので、
 真意が伝わるように、加筆訂正いたしました。
 今後は、もう少し推敲をするようにいたします。すみませんでした。

posted by Riot at 00:53| Comment(0) | 徒然語り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月17日

石の心で

俺は、石の心で、毎日を過ごす。
俺は、石の心で、一瞬一瞬を過ごす。
そう、決めたんだ。

生きていると、色んな日がある。
悪い日もあれば、いい日もあるだろう。

どれだけ気をつけても、努力しても、
全ての悪いこと、辛いことを避けることはできない。
それはもう、どうしようもないことなんだ。

だから、どんなときでも変わらない心を内に秘め、
日々を乗り切っていかなきゃならない。

失敗したとき、疲れたとき、辛いとき。
心が、悲しみや痛みや孤独感で張り裂けそうなとき。
身体が痛かったり、苦しかったりするとき。

そんなときこそ、力をもう少しだけ振り絞って、頑張るときなのだ。
決して、揺れる心、痛みに苦しむ心に振り回されてはいけない。

痛みと苦しみのずっと奥にある心の声に従い、
そのときにやれること、やるべきことを、ひたすらに実行するんだ。
ひたすらに、ひたすらに、ただひたすらに。
石の心で。

辛いことを、簡単に「できないこと」「やらないこと」の言い訳にするな。
何もせずにうずくまっていると、余計に辛くなるんだぞ。

時には、歯を喰いしばって、
そのときにやれること、やるべきことを
ただ、ひたすらにやったらいいじゃないか。
石の心で。


物事がうまくいって達成感と自信に溢れているとき、
いい事、嬉しい事が起こったとき、
そんなときもまた、

そのときにやれること、やるべきことを、ひたすらに実行するんだ。
ひたすらに、ひたすらに、ただひたすらに。
石の心で。

浮かれて自分を見失ったときに、
事を軽く見て油断したときに、
間違いが起こったり、
続けてきた努力をやめてしまったりするものなんだ。

たとえ良いことがあったとしても、自分を見失うな。
そんなときでさえ、そのときにやれること、やるべきことを、
ただひたすらにやるんだよ。
石の心で。


石の心は、握り拳のように固く、ゴツゴツしている。

夏の暑さに、冬の寒さに、日差しや雨や雪に晒されて、

一日一日、一瞬一瞬ごとに、
たくさんの小さな出来事、大きな出来事に晒されて、

喜び、悲しみ、怒り、笑い、切なさ、嬉しさ、興奮、
たくさんの感情を浴び続けて、

角がとれて丸くなり、驚くほど綺麗に磨かれていく。

そして石の心は、冷たいように見えて、とてもあたたかい。


俺は、石の心で、毎日を生きる。
俺は、石の心で、一瞬一瞬を生きる。
俺は、石の心を抱え、研ぎ澄まし、磨き上げる。

そうやって、俺は生きていくんだ。

posted by Riot at 20:00| Comment(0) | 徒然語り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月05日

もっと、濃く!

いきなり…
何だそりゃ、なタイトルだと思われたかもしれないが。

今日、ふと書いてみたくなったのは
「時間」と「洗脳」と「充実感」についてだ。

僕は今、精神的にヤラれていた状態とは打って変わって、
毎日、活気に溢れ、なかなかに忙しく、充実した時間を過ごしている。

相変わらず、思い出したくもない記憶と感情の数々が頭をよぎり
「自分はクズ人間だ」と不図落ち込むこともあるにはあるが、
努力し続けていれば、そんなクズ人間な自分にも、
今とは別の何かを見せてやれるんじゃないか…って、
そう思いながら、毎日を一生懸命生きている。

仕事のほか、ザイクス関連はもとより、
占いの勉強、それにまつわるビジネス関連の勉強、
あと、身体と心の健康のために気功を始めていて、
1日、24時間では足りないくらいだ。

毎日、自分の行動を意識して振り返ってみると、
とれる時間がどれだけ少ないかに気付かされる。
同時に、今までの自分がどれだけ時間を無駄にしてきた、ということも
否応無しに思い知らされるわけだが。

勿論、僕が過ごしてきた時間の全てが、無駄だったわけではない。
辛く悲しかったこと、死にたいと思ったことなんかも含めて。

無駄にしてきた時間って、どういうものかいうと…

「自分が何をしてきたのか、どう感じたのか」が
ハッキリと思い出せない時間なのだと、僕は思うんだ。
多分、そういうときって、自分が心の底から楽しめていない、
そんな時間なんだと思う。

心身がモヤモヤしたまま、何となく日々の生活に流され、
体験したこと、出会った出来事の多くは次から次へと、
忘却の彼方に流されてしまう。

何も知らなかった子供の頃のあのワクワク感は、
多くの場合、歳と共にしぼんでゆき、
思い通りに行かない自分自身や現実に気力を削がれ、
いつの間にか、そんな自分自身や、置かれた環境、日々の生活を
「つまらないな」と感じるようになっていく。

そんな中、人はふと「夢を見せてくれるもの」に
強く、惹かれてしまうのだろう。

僕にとっては、それが「ザイン(ザイクス)」だったのだと思う。


今も変わらず「世界変革」「個人の運命を変革する」と謳うザイクス。
その実態は、強いカルト性を背景にした、悪質な霊感商法でしかなく、
長い間在籍していても、色んなことを「つまらない」と思う自分は
本質的には、なぁーんにも変わっていなかったりする。

「全ては時間の関数、その時その時の軍帥の指示に疑念を入れず従え」
なんて生活を、何年も何年も送っていると…
自分がどう感じ、どう思い、どう考え、何をしたいのか…といったことが
どんどん、どんどん分からなくなっていく。

そんなモヤモヤを胸に抱えながら、何となく生きていく生活は続くのだが、
「私は軍帥を迷いなく信じて、ついていきます」という頭があるから、
表面上は明るく、堂々といられるわけで。

さらに「用語集を読め」「辞めると内的メカニズムが崩壊する」など刷り込みがあるから、
自分自身と向き合い、やりたいと思った事に取り掛かるなんてことは
ますます、できなくなってくる。

(中には、アカデミックなところで数学を追究しているMさん、
 居酒屋店長をやってるMさんみたいな反例もあるのだが、
 多くの会員は、こんな感じじゃないかと思う)

自分自身の感覚、思考、行動が
良い方向に転化するどころか、削り取られていく生活。
そんな時間の多くは、何の身にもならない、薄い時間になっていく。

小島のコロコロ変わる妄言に夢を見せられ
「新事実発覚!」とワクワクしても、
肝心の自分自身は何も変わっていない…むしろ劣化してさえいる…

そういうことに気付けないって、すごく怖いことだと思うんだ。

ただ…何の身にもならない薄い時間を過ごしてるだけってのは、
ザイクスを辞めて2chとかでクダを巻いてる連中にも言えるわけで。
何となく「ザイクスの馬鹿ども」を面白おかしく貶してみても、
それはきっと、「何となく過ぎていく日々」のひとコマでしかなく、
それで自分自身が、どう変わるわけでもあるまい。

まっ、そういう人は、そんな自分に「OK」を出してるわけだから、
それはそれで、どうぞよろしくやっていってください、という感じだけど。


自身を充実させ、なりたい自分になっていくためには、
「モヤモヤした心身のまま、楽しめない時間をダラダラと過ごす」
ことを減らしていかなきゃだし、

「夢を見せてもらう」なんてもってのほか。
「何かの力を頼る」「スゴイ誰かについていく」という思考では、
肝心の自分は、何にも変わらないまま、時間が流れていく。

後になって、「あの時は充実していたな」と心から思える、
そんな時間を過ごしたいと、今の僕は思っている。

もっと、感じて。
もっと、知って。
もっと、考えて。
もっと、行動して。
もっと、反復して。

もっと、濃い時間を過ごしたいんだ。

僕以外の人にも言えることなんじゃないかと思うけど…
与えられた限りある時間を、もっと濃いものにしていくことで
解決できる問題って、結構あるんじゃないだろうか。

もう少しだけ、感じれば。
もう少しだけ、知れば。
もう少しだけ、考えれば。
もう少しだけ、行動すれば。
もう少しだけ、反復すれば。

今を迷いなく、充実して過ごせるだろうし、
ものの見方とかが変わって、ラクになっていくんじゃないかと思う。

だから、僕は言ってみる。

「もっと、濃く」。

(※勢いで書き上げたので、乱筆乱文はご容赦くださいませ)

posted by Riot at 11:54| Comment(14) | 徒然語り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月18日

もう一度「自己責任」について書いてみるか

4年ほど前に、「自己責任」をテーマに文章を書いたのだが、
思うところあって、また別の角度から
「自己責任」というテーマについて書いてみたい。


僕は、「自己責任」という言葉を軽々しく使う人間は、
あまり信用しないことにしている。

「自己責任」という言葉は、よく
「過失はオマエにあるだろ? 人のせいにするんじゃないよ」という
ニュアンスで用いられるのだけど、

実際の言葉の意味としては、
「その選択肢を選んだ結果、起こったことに対しては、
 全て当人の責任となり、誰のせいにもしてはならない」
といったところだと思う。

よく「過失は当人にある」というニュアンスで
「自己責任」という言葉を使う人間がいるが、
過失を責めてみたところで、何の問題も解決しない。

「自己責任」という言葉を乱発するような輩は、
そもそも、問題を正面から受け止め、解決しようという意志など欠片もない、
実際のところ極めて無責任な人種だと、僕は判断する。


さて…
現在のザイクス(地極産業)の場合について考えると、
そもそも、選択肢が「買う、受ける」以外に用意されていなく、
会員が「買わない」選択肢をとるという自由がない。

皆さんもご存知の通り…
ザイクス(地極産業)においては、上級会員(軍士・祭民)は
小島露観への絶対服従が義務化しており、
社員(地極員)の営業に対して「買えません」と答えることは、
小島への服従の意志がない…と看做され、厳しく叱責される。

一応、社長の上杉魁が
「営業に納得いかない場合は、直接反論せよ」と指示を出してはいるが、
それは「売りつけられるのを拒否する自由が与えられている」ということではなく、
「社員の営業スキル(正確には『脅しスキル、押し売りスキル』であろう)を磨くため」
という理由である。

会員が、小島露観やザイクス社員の言うことを信じ込んでしまっている限り、
「軍帥に誓言を出したじゃないか!」なんて言われたら
ぐうの音も出なくなってしまう…それが実態だ。

読者の皆さんも、このことは良ぉーくご存知のことと思う。

アメとムチ、そして小島への帰依を傘に着た脅しのおかげで、
会員の「選択の自由」は根こそぎ奪われてしまっている。


「選択の自由」なしに「自己責任」はあり得ない。

「自分で選んだ結果、不利益を蒙った、その過失は自分にある」

ということなら話は分かるが…

「選ぶ自由もなく、その場ではそうするしかなく不利益を蒙った、
 その過失は自分にある」

こんな話、辻褄が合わないし、道理が通らない。

ザイクス(地極産業)が、顧客の「自己責任」を云々するなら、
今すぐ「お金がどうしても工面できなくて買えません」と言う顧客に
それ以上の営業をかけるのをストップすべきだし、

「もう関わりたくない」と訴える顧客に、
営業電話や、DMや、メールを寄越すのを、即座に止めるべきである。

それができないなら、「自己責任」なんて言葉は
軽々しく口に出すべきではない。

…そもそも、まっとうな組織であれば、
そこには「選択の自由」があり、
より良い選択をするための「知恵」を育むような教育が為されるわけなのだが、

ザイクスには、そういったものは一切ない。
あるのは、「時霊」への絶対服従、ただそれだけである。

実に、フザケタ話である。

posted by Riot at 00:00| Comment(5) | 徒然語り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月05日

結核の話

以前、僕が結核で入院した…という話が、
どういうわけか小島の作文で取り上げられた件について書いてみる。
何回か、人に尋ねられたりもしたし。


まず…結核になったことは、本当のこと。

当時、咳がどうにも止まらなくて、
風邪だろうと思い、近所の内科に診てもらった。
医師はやはり「風邪」と診断し、抗生物質を出してもらった。

ところが。
抗生物質を飲むとその咳は治まるのだが、
医師に処方された薬がなくなってしばらくすると、
また咳がぶり返す始末。

どうにも良くならないので、「アレルギーか何かかな?」と思い、
近所にもうひとつある、呼吸器科、アレルギー科もやっている内科医に
念入りに診てもらった。

レントゲンをとり、喀痰検査までやって。
レントゲンに影があるのと、
痰に抗酸菌の反応がある…ということで、

「結核の疑いがあります」と言われた。

かなり動揺したなぁ、あの時は。
ちゃんと無事治るのか?
職場の仲間に感染していないか?
ビクビクものだった。

正式に結核の診断が下り、即入院する羽目になった。

僕が入院してから…
職場の仲間も(気の毒にも)レントゲン検査を受けた。
誰も感染していなかったようで、正直ホッとした。

さて、入院生活は、暇で暇でたまらなかったが、いい骨休めにもなった。
血を抜かれたり、レントゲンをとったりなど検査はあるが…
規則正しく、のんびりした毎日。

マズいことで評判の病院食も、僕にはそんなに不味く感じられず、
むしろ、喜んで平らげた。
でも、量自体は少なかったから、売店に下りて菓子パンなどを買い
パクついているうちに、退院までに体重が5〜6kg増えてしまった(汗)

まさか、結核になって、太るとは思わなかった(苦笑)

そうそう、担当になった先生が女医さんで、めちゃめちゃ可愛かった。
写メ、撮らせてもらえばよかったなw
すこーしだけ、後悔しているw

しかし…しんどいことも。
同室の患者との共同生活は、結構キツいものがあった。
それぞれ、生活習慣やら、我慢強さやらが違うため、
些細なストレスがボディブローのように効いてくる(><)

色んな患者に愛想良くしてる奴が、
病室では陰口叩きまくってるのにはウンザリしたが、

僕は僕で、夜にTVをひっそり見ていて思わず声を上げてしまったり、
夜中にボリボリ(なるべく音を立てないようにしてはいたが)
菓子を食べたりしていたのだから、まぁお互い様だろう。

僕がブチギレて喧嘩になって、
個室〜二人部屋に移動になった…なんて顛末もあったなぁ。

自分の協調性の無さを、しみじみ実感した入院生活だった。
入院生活に少し慣れた時点では気楽に構えていたが、
最後のほうは、一刻も早く退院したくなっていたっけ。

退院後も、数ヶ月は薬を飲み続けなければならないし、
アルコールなんかも、基本、控えなきゃならない。
薬を飲み終えた後のビールの美味いことといったら!
あの時は、すごい解放感だったなぁw

読者の皆さんも、2週間以上咳が続いたら、
呼吸器科の先生に診てもらうことをお勧めしたい。
結核、ひっそりと流行ってるので、マジで注意されたし。


【以下の記事について、事実内容が異なると読者より指摘を受けました。
 伝えたい大意は変わりませんので、事実に沿って訂正させて頂きます】


さて、ザイクス絡みの話に戻そう。
僕が結核であることが、どうしてザイクス側にバレたのか?

勿論、小島露観お得意の「波動鑑定」で分かったのではなく、
僕とザイン関係で連絡を取り合っていた誰か
(それも、片手で数えられるくらいの人数だ)が、
ザイクス側に密告したに違いあるまい。

心当たりはあるのだが…
その人への、僕の接し方にも問題があったかな、と反省しているので、
別に気にはしていない。

それよりも…ある方から聞いた話がある。

ザイクスの『とある幹部』が、

「ある人から、Riotが結核にかかっていると聞いた。
 あなたが情報を提供したことにして、御論文に載せていいか?」

と、その方に尋ねた…という話だ。

作文(御論文)の裏側は、7〜8割がたは
小島の妄想や、小島一家や幹部の気ままな発言だろうが、
残りは、こうした密告だとか、内部調査の結果とかだったりする。

いやはや、何ともお粗末な体たらくである。


そんなわけで…読者の皆様には、
咳が2週間続いたら、呼吸器科にかかることと、

小島露観の作文が呈示する「神文学」なんて、
取るに足らない下らないものであることを
最後に改めて、しっかりとお伝えしておく次第である。


posted by Riot at 12:03| Comment(7) | 徒然語り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月02日

サーチライト



曲後半のオーケンの語りが凄い。

   俺は サーチライトになりたいんだ

   俺みたいにはなるなよ
   俺みたいにはなるなよ

   お前の前に細い、しかし、しっかりとした道がある
   俺が照らすからお前が行け
   サーチライトは月の光と共に タイトロープを照らす!

   僕も後から行くよ
   いつまでたっても 僕が来なかったら
   君は君で あなたの好きなように
   どうか楽しくやっていてください
   どうぞ幸福にやっていてください
   僕の事は 忘れてあげて くださいね



 
posted by Riot at 10:36| Comment(9) | 徒然語り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月25日

「乙姫」と呼ばれた人について思う

以前、コメント欄で予告していたのだが…
かつて小島に「波動受け」として重用され
「乙姫」と呼ばれ、追放〜後に会員として復帰に至った彼女について、軽く書いてみたい。

実は、マスコミ騒動のとき、機会があって、一度彼女にお会いしたことがある。

そのときに「ザインにいた頃は、服を買えなかった」と言っていたのが印象的だった。

雑誌の記事と併せて、すごく淡々とザインについて捉えている、そんな印象を僕は持った。

その後…彼女は復帰に至ったわけだが…
女性だからお洒落もしたいだろうに、
「好きな服を買える自由」を再び投げ打ってでも、
ザイクスに復帰する道を選んだのは、何故なのだろうか?

彼女の心を覗き見ることはできないが、
ザイクスの存在なしには埋められない、心の隙間、空しさのようなものが
彼女にある、ということなのだろう。

ザイクスにいようがいまいが、人生を空しく思えてしまう時間は、誰にだってあると思う。
その隙間を誰かに、何かに埋めてもらおうにも、それはきっと一時的なもので、
結局は、自分自身で、色んなものを見て、動いたり…
時には、まとわりつくような空しさをどうにかこうにか凌いだりして…
それなりの時間をかけて、どうにかしていくしかないのかな、と思う。

小島の「新時代思想」とか「新発見」とか「効果」とか、
「○○は悪存在だった」というような脅しなんかでは、
それに洗脳されることはあっても、心の…魂の満足は得られない。

小島に再び重用されることを、もし「乙姫」の彼女が望んでいたとしても、
それがあくまで一時的なものでしかないことは、
聡明な彼女なら、既に分かっているはずだ。

どんな場所にあっても、結局人生は自分で切り開くもの。
他人の助けを借りることがあったとしても、
基本、誰かにどうこうしてもらうものではないのだ。

僕には、他人様の人生に、どうこう指図する権利はないし、
思ったことや考えたことを裁く自由も謂れもないが、
それでも言わせてもらえるなら…

「新時代」がどうこうという御託に振り回されて、
一度きりの人生とか、大切なお金や時間を誰かの手に委ねてしまったり、
「自分の人生を、自分でコントロールしている」錯覚に陥ったりするのは、
なおのこと、空しいではないか。

世間を仮想敵に仕立て上げ、その戦いの中で感じる「自由」なんかより、
好きな服を着て街を歩く、そんな世俗的な「自由」のほうが、
より「真実味がある」んじゃなかろうか?

そう、思う。


posted by Riot at 15:30| Comment(15) | 徒然語り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月21日

四苦八苦、逃れられないもの

昨年から、ここしばらくの間に、色んなことがあった。

それらは、僕が「Riot」をやっていることに
直接的、また間接的な原因があって起こったことだった。

Riotをやっていては、幸せになどなれないと痛感した。

だから僕は、Riotを辞めようと思ったし、
このブログにも、そう書いた。

僕という人間は、
社会的にはあまりにも無力で、
僕が本当に大事にしたい人からは、全く必要とされない。
僕には、誰かを守れるだけの力も、心の強さもない。

僕という人間は、どうしようもないクズだと思った。
僕の人生は、どうしようもないクズだと思った。
生まれてきたことを、間違ったのではないかと思った。


そんな中、ある本を読んだ。
そこには「自分を責めるな」と書いてあった。


ある人から、こんなメールが来た。
「感情に嘘をつき、生き方に嘘をつくな」と書いてあった。


また、ある時ふと、中学のときの国語の先生が言っていたことを思い出した。
仏教の話だ。

人間というやつは、どう生きていても、

年はとるし、病気にもなるだろうし、間違いなくいつかは死ぬ。

好きな人、大切にしたい人と出会っても、どんな形であれ、
いつかはお別れするときがやってくるし、

嫌いな奴、憎たらしい奴、苦手な人とは必ず出会い、
その出会いを避けることはできない。

隣の芝生が青く見え、自分の足りなさを焦り、
必要ではないものとか、必要以上のものを渇望してしまう。

そもそも、人間というのはか弱いもので、
TVのグルメ番組を見たら旨い物を食いたくなり、
ちょっと雨が降れば外出するのも鬱陶しくなり、
大小の欲望とか苦痛とかに逆らえず、気がつけばフラフラと
日常という波の中を、気だるく彷徨っている。

もし、苦しみの集合体を「不幸」というのなら、
人は押し並べて皆「不幸」なのだろう。


色んな言葉に触れ、僕は、思ったんだ。

僕が「Riot」をやっていようといなかろうと、
人生というものは、避け難い苦悩と苦しみの連続なんだな、って。

だから、僕がこれまでしてきた過ちとか、
自分自身の弱さとか、
Riotをやっていたせいで起こった色んなことで、
自分を責め、自分を呪っても、しょうがないんだな、と思うようになった。

人生ってやつは、どう生きても、どうしようもないものなんだ。
そう思った途端、だいぶ気が楽になった。


…そうは言っても、今でも
「俺という人間は、幸せになることを許されていない人間なんだ」とか、
「俺は人生を失敗するように宿命づけられて生まれてきたんだ」とか、
そんなことを思うことは、しょっちゅうある。

そもそも、30過ぎてなおフラフラと生き、甲斐性もなく、精神的に打たれ弱く、
寝室にはザイクスの資料がたっぷり入ったダンボール箱が何箱もズン!と鎮座している
こんな男が、はたして幸せになどなれるものか?

でも、そんなことを思うたび、自分に色々と言い聞かせるんだ。

「人生は、どうしようもないことの連続だ」
「いつも絶好調であるはずがない」
「心を石にしろ、石の心で物事にあたるのだ」
「感情に嘘をつけ、生き方に嘘をつくな、妥協は敵だ」

僕はもう、Riotである自分を責めたりはしない。
僕は、どうしようもないくらいに「Riot」で、
それがたとえ、不幸でどうしようもない人生であろうと、
その人生を、力の限り生き抜くしかないのだ。

今は自分の、できることををやろう。

うまくまとまっていないかも、だけど、
今の僕は、そう思っている。



posted by Riot at 20:00| Comment(5) | 徒然語り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月08日

心理学は「盲学」?

しばらく前に、GLORIAの昔の小島語録を見て「あれっ?」と引っかかったこと。

小島露観は、心理学は「盲学」であるとし、その存在価値を否定している。

心理学は、個人や群集の心理のメカニズムを研究するものであり、勉強を重ねていく毎に
「あるある、そういう心の動き、こういう行動。
あれはこういうことだったのね」という風に納得できるようになっていく。
人の心のカラクリ
(もちろん、心理学ひとつで説明がつくほど、心というやつは単純ではないが…)を
知っていれば、人の説得や、商売なんかにも転用できる。

小島露観という人物は、何をやるのも行き当たりバッタリのように見えて、
その実、結構あざといところがあるように思う。
多くの軍士に「人の心のカラクリ」のようなものを勉強されてしまったら、
自分の手の内、そして思惑がバレてしまうとでも思ったのだろう。

小島露観が「心理学は盲学」ということ、それ自体が
逆に「心理学は盲学ではない」ことの証明になるよな…と、今になって思う。


ザイクス(地獄産業)に限らず、胡散臭い何かに騙されたり、
売り文句に押されて必要のないものを買ったりしそうになったとき、
周りの人がいくら「やめとけよ」とか説得しても、当人に火が付いてしまえば
心変わりはなかなか難しかったりするのだが、

豆知識程度でも、心理学をちょっとだけかじっていれば、
「ああ、これにはこういう狙いがあるんだな」と分かって、
大事に至る前に自分で自分をセーブできる、なんてこともある。

ものを知ることで自惚れや油断が生じることもままあるけれど、
何も知らずに、相手の意のままに感情を掻き立てられて、
望ましくない結果を生む…ということは本当に怖いことだと僕は思う。

若い頃、もっと色んなことに興味を持っていれば良かったな…
まっ、後の祭りだが。


posted by Riot at 21:00| Comment(5) | 徒然語り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月04日

謹賀新年 2010

ちょっと遅くなりましたが…

あけましておめでとうございます
今年もよろしくお願い申し上げます


今年は、贅沢は言いません、
どうにかこうにか生き延びられれば、
今よりも少しだけ明るく元気で、一日一日を過ごせれば
それでいい、と思っています。

Riotとしての活動は、以前告知したように、
辞めることを視野に入れてはおりますが、
しばらくは活動を続けていく所存です。

きっとこれからも、「辞めたい!」と仰る方はどんどん出てくるでしょう。
その時に、できるだけのことはしたいし、現状把握はしておきたいかな、と。

ともあれ、不束な管理人ではございますが、
本年もよろしくお願いいたします。

皆様の一年が、幸せな日々の積み重ねとなることを願って

   2010.1.4 Riot



posted by Riot at 12:39| Comment(0) | 徒然語り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月27日

本当の「やさしさ」って

RIOTの来日公演はスゴかった!!
細かいところに不満はあれど、めっさ感動いたしました。
ひとまわり元気になって帰ってきた…のはいいけれど、
持病の腰痛が再発してエラいことになってます(涙)



さて、本題。
以前、ある方から、こんな風なことを言われた。

「Riotさんは優しすぎる。
 センチメンタリズムでは、人は救えない。
 優しさは、暖かくて気分がいいものだけではないのではないか。
 ときには厳しくするのもまた、優しさだと思うんだ」

まあ、もっともな意見だとは思うんだけど、
せっかくの機会だから、やさしさについて色々と考えてみたい。

僕は、オフの生活も含めて、人に「やさしい」と言われることが多いんだけど、
僕自身は、自分のことを「やさしい人間」だとは思っていない。

本当に「人にやさしくする」には、僕はまだまだ弱い人間だ。
しばしば、自分のことだけで精一杯になってしまっている。
それは、僕の中に利己的な部分があるから、そうなのだと思っている。

その気になれば、僕は、相当非情な態度を人に対してとることができる。
でも、それをやったからといって、相手の状況が良くなるわけではないし、
そのせいで、こちらも苦い思いをすることになる。

以前、職場で後輩に、厳しく押し付けがましい指導をしたときに、
後輩から思わぬ反発を受けたことがある。
「Riotさんが辞めなかったら、私が辞めます」なんて言われたっけ。

こちらが良かれと思ってしたことなのに、
やり方、伝え方次第で、このように双方苦い結果となってしまう。

そんなことやこんなことが重なって、
さらに、Riotとして活動をしていって、
僕は、できるだけ人を慮ろうとするようになっていった。

でも、それが「やさしさ」と言えるものなのかどうかは、正直分からない。
単に、相手を傷つけたくないためだけだったら、やはりそれは
「やさしさ」とは程遠いものだと思うからだ。

「優しいこと」の基準のひとつとして、僕は、
「自分のしたこと、言ったことに、責任を持てるか」ということに着目している。

人の心を慮るのも、
逆に相手のためを思って厳しくするのも「優しさ」だとするならば、

その優しさを施したことに自己満足することなく、
自身のその言動が、相手にどういう影響をもたらすか、
注意深く、愛情深く見守ることが大切なんじゃないかと思うのだ。

どんな言葉をかけ、どう働きかけるにせよ、
自分のしたことを「良かれと思ってしたこと」として正当化するだけでは、
ただ言いたいことを言い、やりたいことをやった…ということと、大して変わらない。
そう思う。

普段はなかなか意識することはないけれど…
相手に対し、何かを働きかけるということは、
そこには必ず、因果関係が生じるわけで、

その結果に対してどう思うか、
不適切な結果が起こったときに責任を感じ、
何らかの形で責任をとることができるか、

そういう裏打ちのある言動こそが、やさしさなんじゃないかと僕は思うのだ。

地獄産業の社員の中には、確信犯的に押し売りをやっている人非人の輩もいるが、
「良かれと思って」押し売りを進めている人も、一定数いると思う。

彼らの「厳しさ」という名の「やさしさ」には、
「責任」の一切が見事に欠けている。

…独り善がりのやさしさは、
相手を不必要に甘やかしたり、不必要に傷つけたりしてしまう。
そして、何より怖いことは、
そのことに自分自身で気づけない…ということなのだ。

僕は、まだまだ弱い人間だから、
全ての行動に責任を背負い込み、全うすることができないでいる。

もっと強くなれば、本当の意味で「人にやさしく」なれるのかな。
…なんてことを、考えている。


posted by Riot at 20:00| Comment(5) | 徒然語り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月03日

僕自身の幸せと、「Riotである」ということ(3)

…そんなわけで僕は、「Riotであること」を辞めると宣言したわけだが、

だからといって、急にサイトやブログを閉じたり、
掌を返して「もう誰の相談も受けません、放っといて下さい」というのは
あまりにも無責任で自分勝手な気がする。

瞑想し迷走する小島露観を、
自ら果てしない地獄を目指し続けるザイクスを
追いかけ回し、そのひとつひとつに物言いをつけるのをやめて、

「墓守」のような形で淡々とサイトを維持し、
ザインのあれこれを既に過ぎ去ったものとして、「ザイン経験者」という立場で
脱会相談があれば、僕にできるかぎりのことを ――

相談者のお話をお聞きし、小さく勇気付けて、
そしてザインという組織の体質を知り抜いた僕なりのアドバイスを送る ――

していきたいと思っている。


どういう形で「Riot」としての幕引きをするのが良いのか。
サイトも、色々不十分な状態のまま、放置しているし。

これから、どうしたものか。
ちょっと、考えているところです。

posted by Riot at 09:00| Comment(18) | 徒然語り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月02日

僕自身の幸せと、「Riotである」ということ(2)

最近、本当に、時の経過とか、移ろい行くものの儚さとかを痛感する。
僕の手の中、心の中に、確かにあったはずのものが、
全て、僕の掌をすり抜けていってしまう。

そんな感じだ。

Riotとして「ザインと戦う」姿勢をとっているときはさて置いて、
実際の僕自身は、どちらかといえば間違いなく、弱い人間だ。

世の中には、自分の力ではコントロールしようもない
どうしようもないことなんて、掃いて捨てるほどあることは百も承知だが、

それでもなお、こう思わずにはいられない。

僕が、もっと、色々な面で強かったら、
こんな風に、辛く思い悩むこともなかったろうに…と。

今の生活状況では、
今の自分自身では、
ごくごく身近な、守りたい人、大事にしたい人を守ることなんてできない。

何年か前の僕なら、ナルシスティックに孤高を気取りながら、
人のことも自分自身も省みず、自分のやりたいようにやっていただろうし、
実際、そういう生き方もアリだとは思う。

だけど、僕には、そういう生き方は無理だと判った。
自分のやりたいようにやっているときでも、そんな僕を
何らかの形で支えてくれる人々が常にいたことに、今更ながら気づいた。

支え合える誰かが、僕には、必要なのだと思う。
そして、そういう人々を大切にできなければ、きっと幸せなどあり得ないのだ。


翻って…
「反ザインとして、Riotとしてこれからもザインと関わっていく」ことは、
身近な人に迷惑や心配をかけ、信頼関係を損なうだけではなく、
そうした近しい人達とかけがえのない時間を過ごすことの障害となる。

そして、僕自身の中でも、ザインに触れる度に、
僕自身の「罪」というか…
「心の奥深くにあるしこり」を思い起こさずにはいられない。

僕にとって、Riotであるということは、
誇りではあるけれど、同時に、とてつもなく後ろ暗いことでもある。


僕が、もっと、大事なものを守れるほどに強くなるためには、
遠くを見据えながら、今日という日を全力で、地に足をつけて生きること、
そして、僕の中にある、いろんな「後ろ暗さ」をゼロに近づけていくことだ。

それができなければ、きっと僕には
「幸せ」を掴むことは出来ないのだろう。



全てが移ろい行くこの世の中で、

僕はどうしようもなく無力で、
僕の存在はどうしようもなく軽く思えて、
幸せと思える時間すら、一瞬の幻のように思えて、

そして僕は、Riotであることに疲れ果ててしまった。

…そんなところだ。


(自意識過剰な乱筆乱文、お許しください。
 最後に、今後の展望とかを書いて、〆にしようと思います)

posted by Riot at 20:04| Comment(0) | 徒然語り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月27日

僕自身の幸せと、「Riotである」ということ(1)

ここ3ヶ月くらいの間に…色々考えさせられることがあり、
僕は、ひとつの結論を出した。

そう、遠くないうちに。
僕は、「Riotであること」を辞めようと思う。


大事なことなので、ここで記事にしようと思ったのだが、
ごくごく私的なことでもあり、どう書いたら良いものか迷ってもいて。

ともあれ、うまく伝わるかは分からないけれど、できるだけ正直に、
「何故、その結論へと至ったのか」を書いてみます。


- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -


最近、すごく、考え、悩み、迷っている。
「僕自身の幸せは、いったいどこにあるのだろうか」
ということについて。

僕は、Riotである自分自身に、
これまでしてきたことに誇りを持っているし、
僕自身の経験が、誰かの役に立てることに喜びを感じてもいる。

しかし…その一方で。
この活動を続ければ続けるほど、
埋めがたい「孤独感」が心の底に巣食うのを感じるのだ。

何人もの方が、僕に連絡をとって下さり、
ザイクスから足を洗い、そして去っていく。

その中で、仲良くなった人も何人かいて。
そういう人たちも、いつの間にか連絡が取れなくなって疎遠になったりして。

それはそれで、良いのだと思う。
ザイクスと戦うのは、僕一人で充分。
ほかの人には、こんなクダラナイ連中のことなど綺麗さっぱり忘れて、幸せになってほしい。

もとより僕は、黒子に徹すべき立場であるのだから。

その一方で。
埋めがたい一抹の寂しさは、拭えないものがある。

誰かと出会い、そして離れていくたびに。
こういう言葉が適切かは分からないが…

「僕自身の、存在の軽さ」と
否応なしに、向き合うことになるからだ。

(すごく自意識過剰な言い回しになってしまっているなぁ…自分でも嫌になるくらいに。
 それだけ、今、精神的に疲れているのだと思う)

Riotである部分も含めて、僕は僕なのだが、
ザイクス絡みで出会った人たちにとって、僕は
「悪辣なカルト企業と戦う『Riot』」以外の何者でもないわけで。

皆がザイクスを離れても、僕一人だけは自分にできることをやり続けよう…と
これまでは、思っていた。

でも。
一口に「縁」といえばそれまでの話かもしれないが…
色んな人と出会い、離れ、
自分だけが何一つ変わらずに、「そこ」に留まっている、という現実。

そんな味気なさ、孤独感のほうが、今の僕には身に沁みるのだ。


それだけではない。
僕は、この活動を続けること…そしてこれからの自分を模索し続ける過程において、
家族やパートナーといった周囲の人を、省みることがなかった。

ぶつかり合いながらも、何でも話し合える人、
心の内を曝け出せる人、何かあったときお互いに支えあっていける人って、
きっと、限られている。

そういう人と真剣に向き合うこと、
大切にすること、守ることを疎かにしてしまっていた。

今更ながら…そのことに、気づいてしまったのだ。

もっと、身近な人のことを、大切にできなかっただろうか?


(長くなるので、続きはまた後で)



posted by Riot at 21:22| Comment(3) | 徒然語り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月16日

リラックス、リラックス(2)

話の続き。

恐らく、リラックスが必要な人は、僕だけではないのだろう…と思う。

人間って、いつでも強く、明るく、前向きでいられるわけじゃない。
色んな出来事の中で、心は揺れる。
心の揺れは、ものの考え方や行動にダイレクトに影響している。

人間だから、心があって、それが揺れるのは当たり前だ。
当たり前なんだけど、それも「程度問題」というやつで、

頭と心と行動が切り離されると、本人の自覚なきまま
自分のやっていることがチグハグになったり、
感情のコントロールが効かなくなったりする。

それは、本人にとっても、とても辛いことだし、
ひどくなると日常生活そのものに支障を来たしたり、
周囲にも迷惑をかけてしまったりする。

リラックスを習慣付けることで、
こうした「感情の波」に振り回されてしまうことが
なくなる…とは言わないまでも、大分ラクになれると思う。


頭と、心と、行動を一致させることの大切さ。
何だか、ザインにいたときにも同じことを聞いたことがあるような。

そういえば小島露観は、よく「思言行一致」を説いていたっけ。

でも、ザインでは、「思言行一致」なんて有り得ない話だ。
常に、金銭の問題、上下関係や指令なんかで過度のプレッシャーがかけられている状態では、

自分の心の奥にある思いに正直になったり、
「やりたいこと」「やったほうが良いこと」に直ちに取り組んだり、
より安定した感情で毎日を過ごしたりすることは、

とても、とても、困難である。

本当に「思言行一致」を標榜するのであれば、
心を安らかにするようなことを、会員に勧めるはずだ。

常に急き立てられるられるような状態では、
思っていること、言っていること、やっていることが、どんどん乖離していく。

やっぱり小島さんは、高邁な理想を掲げてるのはポーズで、
その実、自分の言うことに絶対服従してもらいたいだけなのね。

改めて、思う。
カッコ悪っ。
そして、惨いな。


posted by Riot at 12:48| Comment(0) | 徒然語り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月12日

リラックス、リラックス

ここしばらく、(具体的なことは書かないが)色々なことがあって、
そのことや、もっと過去のことを振り返って思ったのだけど…

どうも僕には、リラックスの習慣が必要らしい。

僕は、「頑張ろう」「頑張らねば」と強く思いすぎてしまう性質で、
それがもとで、気持ちばかりが意気込みすぎたり、焦ったりして行動が追いつかなくなったり、
思考と感情と行動が、バラバラに食い違ったりしてしまうのだ。

そういう自分を認めれば認めるほど、余計に焦って空回りしてしまう有様。
困ったものである。

少し前…
仕事の面で、そういったことが原因で、手痛い挫折と絶望感を味わった。

心の暗闇から、どうにか抜け出そうとしていたとき、
「俺には、リラックスすることが足りなかったんだな」と分かった。

・自分に、プレッシャーをかけない。
・自分の夢や目標を、ことさらに高く掲げない。
・「頑張ろう」「頑張らなければならない」という考えを、頭から跳ね除ける。
・仕事面においては、「完璧にやろう」と考えず、
 できることを効率良く、無理なくやることを念頭に置く。
・モヤモヤ浮かんでくる感情や記憶に、心を引きずられないようにする。
・しんどいときこそ、小さく笑う。

自分自身に言い聞かせたり、瞑想用CDを使ったりして
リラックスすることを心がけてみると…
自分の気持ちと、考えと、行動が食い違うことが大分減った。

まるで本能に似たシンプルなものの考え方を採るようになり、
毎日を、ひとまわりラクに過ごせるようになった。
嬉しいことである。


そして…
ヘンに頑張りすぎて、その反動で精神的にしんどくなって
この活動に支障を来たすことが、いかに多かったか。

(決して、ザイクスの「呪い」のせいなんかじゃありません、念の為)

皆さんに迷惑をおかけしたことを、改めてすごく反省しています。
本当に、ごめんなさい。

これからは、できるだけリラックスして、
小さく笑いながら、事に当たっていきたいなと思っています。


posted by Riot at 21:51| Comment(8) | 徒然語り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月26日

エデンの東

エデンの東。
ジェームズ・ディーン主演の、歴史に名を残す名作映画。

僕は、この映画が大好きだ。


厳格なクリスチャンで、周りから見れば非の打ち所がないくらいに清く、正しい父・アダム。
双子の息子 ―― 常に模範的な兄・アロンと、模範的に振舞うことに価値を見出せない弟・キャル。

父の押し付ける「正しさ」を頑なに拒絶しながら、その一方で
父の高潔さを尊敬し、その愛を求めるキャル。
聖書に規定された正しさの中に生きるアダムは、
そんなキャルのことを理解し、受け入れることができずにいる。

アダムの志…レタスの冷凍事業の成功を純粋に信じ、それが失敗すると、
戦争を当て込んだ先物取引でお金を作り、誕生日プレゼントとしてアダムに贈呈する。
キャルにしてみれば、彼ができる最大の「父への愛情表現」だったのだが、
アダムはそれを「アンモラルだ」と非難し、お金を受け取ろうとしなかった…


何ともやりきれない、話である。
二十歳そこそこの時に、この映画を見たのだが…
「人から受け入れられていない」ことを気に病む僕にとって、
この作品は、僕の心にバシバシ響いた。


人の愛し方には、さまざまな形があって、
その違いが、大きな誤解や悲劇を招いたりする。

僕自身、かつての自分を振り返ってみると…
親から受け入れられない自分を、ずっと持て余していたフシがある。

僕の中の「学校の勉強ができる」部分は評価されても、
「神経質で、すぐに人の言葉を気にして傷つく」ところは受け入れられない…

愛されているはずなのに、何かが違う。
そんな違和感が、常に付きまとっていた気がする。

弱い自分を変えたくて、僕はザインと関わるに至ったのだが…
当時、ザインの活動をすることは、回り回って親のためになる、とどこかで信じていたものだ。
ザインが政権を握ることで世の中は良くなるし、僕も豊かになる…と信じていたのだ。

読者の皆さんからみれば、実に馬鹿馬鹿しい話かもしれない。
でも…人を大切に思う心は、満たされない心と結びつくと、
時として、とんでもない錯誤を巻き起こすものだと思う。


そして、もうひとつ。
この作品を通して僕は、「清く正しいもの」の怖さを強く感じるのだ。

清く正しく美しいものに、人は強く惹かれるものだけど、
実際、多くの人は、それほど清くも、正しくも、美しくもない。

清く正しいものを信奉し、追いかけることは、即ち
それ以外の「汚れたもの、危険なもの」から目を背け、
受け入れず、撥ね付け、否定することにつながる。

人間の持つ生の感情、誰もが犯すであろう過ち、
すぐには捨てることのできない負のしがらみを、
良からぬものとして、バッサリと否定してしまうのだ。

それは、即ち、目の前の相手を拒絶すること、
表面的な正しさで、相手を裁くことである。


ザインの「破邪顕正」「自然復興」「自然なハート」などの大義名分は随分と立派なものだが、
実際のところ、小島は、部下に対しては猜疑心を抱き、裁くことにご執心である。

そして、少なくなった会員の多くは、ザインの「清く正しい」大義名分に心を奪われるあまり、
自分自身を受け入れられない、自分が受け入れてもらえない…という
そんな不安定さから抜け出せずにいる。


正しさを追求したり、
誰かが提示した「正しいこと」に拘泥しているうちは、
正しさなんて、決して掴めない。

良いも悪いも、正解も間違いも受け入れたその先に、
ふと見えてくるものが「清く、正しいもの」なのだと思うのだが、いかがだろうか?


posted by Riot at 02:10| Comment(9) | 徒然語り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月18日

酒と嘘

ザインをやめてからしばらく経って、僕は母に、軽口で自嘲気味に

「俺がザインで覚えたのは『酒』と『嘘』だ」

と、こんなことを言ったのを覚えている。


僕は、本当に、酒を飲むことに嫌忌を抱いていた。

両親は本当に真面目な人で、酒も煙草もやらないので、
子供心に僕は、そんな両親に倣おうと決めていた。

(未成年の飲酒はご法度で、推奨しないが…一応正直に書くと)

高校のとき、部活仲間とビールやら何やらを「嫌々ながら」飲んで、
意外にも「飲めてしまった」ことから、
どうやら僕は酒を飲めるらしい…ことが分かった。

皆が初めは「ニガい」と眉をしかめるビールも
初めから「えっ、結構イケるじゃん♪」と思ったものだ。

だが、酒に酔って自分を見失うことへの
「抵抗感」は、ずっと僕の中にあった。

酒は美味いし、酔うのは楽しいが…
大学のサークルの飲み会で、酒を注がれてキレていたくらいである。
それだけ、「酒で身を持ち崩すことへの倫理的嫌忌」が
あったんだろうな…と思う。

ところが、ザインと関わるようになってから…
小島の「ザイン思想」で
「酒は習気(ジュッキ=溜まった悪感情ほかのマイナスエネルギー)を洗い流す」
という言い分を、まんま信じた僕は、
酒を飲んで酔っ払うことへの抵抗感が、段々無くなっていった。

月イチの剣修練の後の直会が、それを加速した。
酒利きには程遠いものの、色んな酒の味を覚えていった。

当時の僕は、ビールや(当時あった)カクテルバーを良く飲んでいたが、

ビールだけでなく、M川氏に勧められて熱燗の味に目覚めたり、
しんちゃん先生に勧められて芋焼酎の味に目覚めたり、
剣補習のときにKさんが持ってきた大吟醸に感動したりした。

勢いで、ワインやウイスキーにも手を出したりして、
結構、種類を選ばず酒を楽しめる自分を発見できた。

今も、毎日晩酌…まではしないけど、
酒は小さなストレスの解消にもなるし、
気の置けない仲間や友人とワイワイやるには、最高のお供である。

あくまでも僕の場合でしかないけれど…
酒を飲む楽しみを知ることができたのは、
ザインと関わったから…という部分が大きかったなぁ。

ザインにいたことで感じる、数少ない
「得した」「良かったな」と思える部分である。



そして「嘘」だが…
ザインと関わるまで僕は、嘘や隠し事はしないように生きてきた。

正直こそ美徳…と、両親から教えられてきたし、
その背中を見ては、そう思って生きてきた。

しかし、ザインと関わるようになってから、
どうしても、嘘や隠し事をせざるを得なくなった。

ザインのこと、それが主な原因でこしらえた借金のこと。

それらは、確実に心の重荷になっていたはずだが、
軍士としての使命感やら、将来への(幻想にすぎない)希望やらで、
その重苦しさから目を背け続けていた。

そして、僕の嘘は家族を大きく裏切り、傷つける結果になった。
そのことについては、本当に申し訳なく思っている。

多くの人は、大人になるに従い、
嘘や、隠し事 ―― 言い換えれば「それぞれの事情」を
抱え込みながら生きることを余儀なくされる。

周囲の人との関係や、自分の本心、
弱さや未熟さゆえにしでかしてしまった失敗、など。

馬鹿正直に話したくないと思うのが情であり、
理性的判断でもある…というものだ。

悟ったような言い方になってしまうが…
そうやって人は、人生を知っていくのだろう。

僕は、ザインを通して、人生の苦味というやつを知ったのかもしれない。


…ところで、妹によると、僕は

『「嘘をつけない人間」(←良いところだと思う)』

ということらしい。

やっぱり僕は、嘘をつくのが下手糞なんだな…と
苦笑いしつつ、しみじみ思うのだった。
posted by Riot at 02:52| Comment(4) | 徒然語り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月14日

秋の夜長に、この1曲

食欲の秋。芸術の秋…色々あるけど、
僕個人としては、色々、もの思いにふけることの多い季節です。

そんなわけで、ニコニコ動画からこの1曲をチョイス。
「Stay with me」が有名な、アイランドの隠れた名曲
「ククルクク、願いを鳥に託す」です。



「雨と土の きびしさには やさしさがある
 人の世では さびしさだけ ただくりかえす」

この一節が、やけに心に沁みるのです。
posted by Riot at 23:38| Comment(0) | 徒然語り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月11日

忘れた頃に色々と

ひっそりと更新。
お久し振りのRiotです。

色々ありましたが、少し気になる動きが。
普段は「はいはいw」とスルーする2chのザインスレですが、私を貶めるためにあることないこと書いていらっしゃる方がいますね。

恐らくザイクス社員でしょう。

別に叩かれるだけなら「まあいいか」で済むのですが、こういう動きをする裏には、今も残っている現役会員に対して、2ch経由で私に接触させないようにするための工作なのではないかと想像しております。それだけ皆さん必死なようでw

飢えて、老いて、弱りきったザイクス。
Riotではない「一個人としての私」としては、もはや相手にすべき存在ではないのですが、彼等に騙される方がこれ以上出ることの無いように、サイトは存続していくつもりです。

正直、ザイクスに関わってきた私も、その後ザイクスと対決してきた私も「私自身」ですから、その事実を無理に跳ね除けようとするのもナンセンスかなと思う次第です。

気が向いたら、適当に更新かけようかなと思います。
皆様もどうかご自愛ください♪
posted by Riot at 23:36| Comment(10) | TrackBack(0) | 徒然語り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

このブログでは、SEX教団・ザインザイクス天業古代王朝シリウス核石・の、内情と実態を書き綴っております。
シリウスは、詐欺まがい・押し売りまがいの霊感商法、性の儀式、軍事訓練などを行っております。
シリウス核石のことを知りたい方以外にも、ザイン(シリウス)を辞めた方、
ザイン(シリウス)を辞めようと考えている方、ザイン(シリウス)を辞めた元会員の方々・現在もシリウスに在籍する社員・会員の方に
ご覧になっていただきたいブログです。