[PR] サメ軟骨 ザイン・ザイクス・株式会社シリウス・天業古代王朝の、核石・聖品・実態・体験談 〜zynekiller通信

2008年11月17日

あなたはフリーターのトップだ

店舗裏のスペースに呼び出された僕。
そこでは、当時の参謀(=地区を取り仕切る)の茜薔薇(美作彩希)、
副参謀の馬酔木清胤、台長(支部長)の樟やどり(K.T)の3名が僕を待ち構えていた。

「あなたのことが、前々から気になっていた。
 班長としても問題があるし、社会人としても問題がある」

彼らは、軍士(朝士)として、班長として、いち社会人として力不足である僕を、
かねてから問題視していたらしい。

ザイン名物の、尋問という名の一方的な説教が始まった。


茜氏は、仕事をクビになったばかりの僕に、冷たいながらも
どこかあっけらかんとした口調でこう言った。

「私が社長でも、あなたをクビにするもん」
「社長をやってる人なら、人を見る目がありますから」

つまり、僕はそこまでダメな人間だ…と言いたかったわけだ。

とてもショックだった…のだけど、人間ってやつは、
あまりにもショックが大きいと表情が笑けて凍り付いてしまい、
どう反応していいか分からなくなってしまうらしい。

何か言おうとした僕に、馬酔木氏は
「そうやってヘラヘラしてないで、じっと話を聴くことはできないのですか」と言った。

僕は、それで何も言えなくなった。

続いて茜氏は、「あなたには志がない」と僕に言い放った。

これまでフリーターを続けていた僕に、次々と情け容赦ない言葉が突き刺さる。

「最近テレビで見たんだけど、ショップのフリーターが自分のことを
『ショップ店員』って言ってたの。『バッカじゃないの?!』って思った」

「コンビニ店員なんて、小学生でもできる!」と言われた。

茜氏の言葉は続く。

「あなたはフリーターのトップ(世のフリーターを代表している)だと思う。
 あなたがフリーターをやめないと、世の中からフリーターはなくならないよ」

ザインという団体には、世の中の様々な人間の原型が集まってくる…とされていて、
茜氏から見た僕は「世のフリーターの原型」だということなのだろう。

「頑張れば変われるから…と普通なら言うところだけど、そんな風には言いたくない」

と、無責任に突き放すような言葉でお説教タイムは終わった。


―― とにかくもう、ショックだった。

薄々自覚していた自分の甘さ、至らなさ、無力さを
グサリと指摘されたことも大きなダメージだったのだが、
自分が「問題のある存在だ」と断じられたことが、当時の僕にはかなり堪えた。


今にしてみれば情けない話だけど、
それからしばらくの間、部屋に引きこもっていた。

無力な自分が憎い。
ダメ人間の自分が憎い。
僕を解雇した会社が憎い。

でも、悪いのは自分だから、憎むのはいけないのだろう、きっと。

僕の中を、行き場のない感情がグルグルと回っていた。
「自分はダメ人間だ、もうどうなってもいいんだ」という
ものすごく投げやりな気持ちになっていた。
僕をクビにした会社に対しても、鬱々とした恨みの念が湧き上がっていた。

本当なら、心を入れ替えて反省しなければいけないのだけど、
当時の僕は、そういう気持ちになれないほどのショックを受けていたのだと思う。

電話がかかってきても、出ようとはしなかった。
とてもじゃないけど、人と話ができるような心境ではなかったから。

人との接触を断ち、ひたすらネットやゲームで時間を潰す。
メシはコンビニで買ってくる。


解雇された会社から、「給与の受け取りはどうするのか」と電話がかかってきたが、
それさえも無視していた。

同期の人からも電話があった。
電話に出て少し話した。

結局彼の説得に応じ、行きたくないけど、直接給与を取りに行った。
僕は、あてのない怒りに満ちた、どんよりとした表情をしていた。

僕に解雇を告げた常務がいた。
「どうだ、次の仕事は見つかった?」と、フレンドリーに尋ねてきた。

何て答えたかは覚えていない。
でも、死んだ魚のような目で、僕は彼を小さく睨みつけ、
彼は少しぎょっとなったのを覚えている。

(振り返ってみると、大変失礼で申し訳ないことをしたし、
 試用期間中も丁重に僕を扱って下さったことに、感謝しなきゃな…と思う)

ともかく…当時の僕はそれだけ傷ついていて、捨て鉢だったのだろう。


一方、僕の両親も、尋常ではない僕の状況を察したのだろう。
何度も連絡をくれた。

最終的に電話に出て、ザインのことは伏せ、会社をクビになったことだけを話した。

両親は両親なりに、色々考えたのだろう。

「東京は人が冷たいし、田舎のほうがRiotにとってラクに生きられると思う」

「一人で食ってく分にはどうにかなるだろうから、洋菓子屋を継げばいい。
 帰っておいで?」

何もかもに失望していた僕は、両親の温かさに感激し、そして甘えることにした。


こうしてRiotは、長年親しんだ埼玉での生活に別れを告げ、実家に戻ることになった。

―― ただ、ひとつだけ気がかりなことがあった。
両親にザインのことがバレないか…ということである。

2008年11月16日

夢に破れ、現実に破れ

軍士としてザインと関わった数年間。
それじゃ、ザイン以外の場において僕は、いったい何を得たのだろうか。

この時期の僕は、たちの悪いモラトリアムの中にいた。
そんな気がする。


飛び出すようにバンドを抜けた後、「自分の音楽をやりたい!」と決心した僕。
抜けた当時こそ「偽りばかりが跋扈するシーンを駆逐して、
音楽で時霊の意志を伝えるんだ!」なんて思っていたけれど、
僕は中途半端で、そして現実は非情だった。

自分のつくった歌なんだから自分が歌ってみればいいんじゃないか…と
ある人に勧められてその気になって、
一人カラオケでヴォイストレーニングに励んだりしたけど、
結局、再度バンドを組んでの活動には至らなかった。

曲を書こうとするも、なかなか形にならない。

でも、親をはじめとする色んな人の前で大見得を切った手前、
自分のダメさ加減、才能の無さを認めるわけにはいかない。

そういう『変なプライド』をずっと抱えたまま、
自分に見切りをつけることをずっと拒み続けて、僕はアルバイトを転々としていた。

生活の力点、意識の力点が、ザインの活動に移っていったのだけど、
しかし、ザインの活動も自分を満たしてくれるものではなかった。
「自分を変える」どころか、「クビにならないように、目立たないようについていく」日々。


軟弱(うすっぺら)なプライドを盾にしながら、
音楽やゲーム、インターネットに逃避しながら、

現実から、そして自分自身の本心から逃げ回っていた。


しかし、これではいけない…と僕はついに決心する。
そしてこれは、僕にとってすごく屈辱的な決心だった。

このまま中途半端に夢をくすぶらせているのは良くないことだ。
アルバイトじゃなくて、正社員で働こう! と決めた。


いくつか面接を受け、ある会社に採用された。

だが僕は、そこを1ヶ月ほどでクビになってしまう。
会社が期待し、必要とするほどに仕事を覚えられなかったから…なのだが、
実際のところ、当時の僕は「仕事をする」ことをどこかで甘く見ていたのだと思う。

「一生懸命やる」ことで自分自身満足してしまって、
どこかで甘さが拭えないままだった。

とにかく一生懸命やっていればどうにかなる…という安直な考えがどこかにあって、
「何が何でもやってやる」という、現実的な必死さが不足していたのだ。


自分自身の「一生懸命さ」「真面目さ」は確かに大切にすべきものだが、
それとは別のところで、世の中というものは回っている…ということに、
当時の僕は思いが至らなかった。

僕自身が持つ、どうしようもない中途半端さを自覚できないまま、
何をするでもない数年は、こうして無駄に過ぎていった。


…というわけで、会社をクビになった僕。
途方に暮れた僕は渋谷店に行き、しんちゃん先生の占いを受けることにした。

占い自体は、普通に済んだ。
その結果はよく覚えていないが、そのときしんちゃん先生に言われた
「世の中に対する自分の『歯車』が、磨り減ってしまっている」という言葉が、
僕の中では印象に残っている。


そして、占いを受けた後。
茜薔薇(美作彩希)氏に、「話があります」と店舗裏の部屋に呼び出された。

2008年11月15日

ファイア・インスピレーション体験談

ザインの聖品…もとい、商品の体験談は、
社員軍士・社外軍士をはじめとする上級会員が書いている。
良いことが色々と書いてあるが、実質上の「ヤラセ」である。

僕も軍士時代に、聖品に関してはなかなかスパイシーな体験をしているので、
ちょっと、それについて書いてみようかな。


しがないフリーターだった当時の僕は、めちゃめちゃ彼女募集中だった(汗)


ザインの中では、軍士同士がカップルになることが多い。

小島は当時、(特に女性軍士に対して)一般人との交際をするのは
時間の神に仕える兵士として望ましくない…と言っていた。

(恐らく、彼氏に説得されてザインを辞めてしまうことを危惧したのだろう)

軍士もまた、外部の人間と付き合うと、
ザインのことを隠し通さなければならないから、
自ずと、軍士同士がカップルになるケースが多くなる…というわけだ。


そんなわけで、僕の上や周りには、軍士同士のカップルが多く、
内心、いーな、羨ましいなと思っていた。

―― バンドのメンボになぞらえて表現するなら、
「当方20代前半男性。彼女募集。ザインの内外は問いません」という感じだった(苦笑)


そして、当時の僕は今以上にシャイだったので、
「いいな」と思う女性にアプローチすることが、なかなかできなかった(汗)

そんなわけで僕は、そんな状況を打破すべく、大枚をはたいて
ペンダント「ファイア・インスピレーション」を購入した。

電話口で矢木さんが「これはイイですよ〜」なんて言ってたっけ…

(あー、書いててすっごく痛いな、自分…)
(俺の黒歴史だw)


さて、ファイア・インスピレーションを買ってからというもの、
気になる女性に対し、積極的に食事に誘うなど、
思い切って自分から動くようになった。

「下心を出す」ことの抵抗が、自分の中から少し無くなったのだと思う。

さすがはザインの聖品。
見事な時霊…もといプラシーボ効果であるw

だが…やはり、というべきか、彼女ができるまでには至らなかった(涙)
ペンダントひとつで何かが変わるほど、世の中ってやつは甘くないw


―― そんな折、剣修練後の直会で。

ある女性軍士と話が弾んだ。
以前から意識していたとかではなかったのだが、
付き合っている彼氏絡みで悩んでいるという。

ちょっとイイ雰囲気になり、「Riotさん、遊んでください」なんて言われて、
携帯の番号を交換して別れた。

で、何回か電話をしてるうちに、どちらからともなく「付き合おう」という話になった。

ぃやったぁ! カノジョできた!
これで、あの淋しい日々ともおさらばだ!!

めちゃめちゃ嬉しかった。

…で、とりあえず遊ぼうよ、という話になった。


そんなわけで、付き合い始めた彼女との初デート。

僕はめちゃめちゃ楽しみにしていたのだが、
その一方で、どうも傍らにいる彼女の表情が冴えない。

カラオケ行っても、映画観てても、何だか暗い表情だった。
「どうしたの?」と尋ねてみるが、今ひとつ反応が返ってこない。

うむむ、どうしたのだ。
僕は困惑していた。

そして居酒屋へ。
軽くビールを飲み、料理をつまんでいると、
彼女は意を決したかのように切り出した。

「私、やっぱり前彼のことが好きなんだ」
「やっぱりRiotさんとは付き合えない」と。


何という急転直下。

こうして僕は、初めてのデートであっさりと振られてしまったのだった。

付き合うことになってから、デートして、振られるまでわずか3日。
何だか、明智光秀にでもなったかのような気分だ(苦笑)

―― 実のところ、かなり落ち込んで、
夏の間中、ずっとこんなフラレ唄ばかりを聴いていた。



(PRETTY MAIDS:Please Don't Leave Me)



さて、女々しいフラレ唄も聴き飽きて、ぼちぼち精神的に立ち直ってきたかな…という頃、
いつものように、ザインのDMが来た。

何気なく、聖品パンフをパラパラと流し読みしていたら、
ふと、ある体験談が僕の目に留まった。

『SCREAMING PLEASURE X』
執着恋愛から脱出! 自分でもビックリの変化!

私は以前、付き合っている彼と上手くゆかず、私にアプローチしていた他の男性に気持ちが移ってしまったこともあって一度別れてしまいましたが、『SCREAMING PLEASURE X』が届いたその日、今の自分の本当の気持ちが分かり、彼に復縁を切り出したら「ありがとう、嬉しい」という返事がきて、もう一度付き合うことになりました。以前は彼が本当に自分のことを好きかどうか…(以下略)


何だこれは! 前彼…つーか今彼と、俺とのことじゃないか!!

正直、頭をハンマーで殴られたかのようなショックだった。

まるでピエロのような、カッコ悪い自分が晒し者になっているかのような、
色々な意味の「敗北感」が打ちのめしてくるかのような、
そんな感じだった。

ファイア・インスピレーション、SCREAMING PLEASURE Xの前に敗れる。

僕が52500円を払って得たのは、プラシーボ効果と、ニガーい思い出、
そして体験談に「脇役」として掲載されることだったのですか?

これってどーなのよ、ザインさん?

…実に苦々しい、思い出話である。

(…というか、もう少し相手の心を知ってから付き合うようにしようよ、と
今の僕なら思うのだが)


―― そんなわけで、今回初めて書いた「聖品体験談」。
今ならば自虐的な笑い話として片付けられるから、ちょっと書いてみた。

あっ、ザイクスさん、聖品券もDMも、もう要りませんから。
一応、念の為。

2008年11月14日

Riotから見た「エロ儀式」

マスコミ報道や2chで大々的に取り上げられた、ザインの「エロ儀式」。
僕も、いくつかのエロ儀式を体験しているので、当時思ったことや、
今にして思うことなんかを、つらつらと書いてみる。


男性の立場から見た「エロ儀式」。
ネオ氏やモーフィアス氏から「ウラヤマシイな」なんて言われたことがあるけど、
少なくとも僕にしてみれば、そんなお気楽なものではなかった。


ホーリーナイテスが重用され始めたあたりの時期(1999〜2000年年頃)から、
ザインでは、「女尊男卑」の傾向が出てきた。

論文で小島は女性をもてはやし、男性を
「侍のような凛とした潔さが足りない者が大多数だ」と断ずることが多くなった。
エロ儀式に関しても小島は、「女性が主役で、男性は刺身のツマ」といったようなことを
どこかで書いていた記憶がある。


―― これまでにも書いてきたように、
僕は、内心ではコンプレックスを色濃く抱えていて、
自分の中の「男性性」に自信を持つどころか、ビビッてばかりいた。

ザインのエロ儀式って、よっぽど「突き抜けた」男性でもない限り、
男性にも妙なコンプレックスを植えつけかねない内容だと思う。

僕が参加したエロ儀式は、「MEGA BLOW」「希望玉復活エレウシス」の2つだが、
そのどちらも、「心から楽しんだか」と言われれば、NO! である。


榊原沙弥さんや、ホーリーナイテス有志が「書道」をかまし、
Kさんがストリップをやった『MEGA BLOW』。

エロいような、シュールなような、混沌とした非日常のシチュエーション。
当時の僕の中では、興奮とも緊張ともつかない、何ともいえない気分だった。

「性の解放」を謳いながら、そこには小島露観のこだわりとか欲望とか、
ザインという組織が常に持つ、ある種の序列とかがデンと横たわっている…
そういう重苦しい雰囲気を、無意識のうちに感じ取っていたのだろう。


2001年に開催された「希望玉復活エレウシス」。
悪名高き「花びらトンネル」、「連環舞」に僕も参加していたが、
ここでも僕は、興奮とも緊張ともつかない、奇妙な気分になった。

ノーパンの女性が互いの脚をとり、トンネルを作り、
男性がそこを潜り抜けていく「花びらトンネル」は、
気に入らない男性が入ってきたり、男性が少しでも妙な仕草をしたら、
女性は蹴りを入れても良いことになっていた。

僕は、蹴りを入れられるのはゴメンだとばかりに、急いで通り抜けた。
「上を見る」ような、精神的な余裕なんぞなかった。

水泳のバサロのようにトンネルに突入したH君のように、
あっけらかんとした男軍士がいたことはいたけど、
大方の男軍士は、そんな風に「堪能する」余裕なんてなかったんじゃなかろうか。

ノーパン女性の秘部を「覗き込む」連環舞も、
やはり女性が拒否権を持っていたこともあり、
無理に覗き込むなんて、どこか怖くてできなかった。

かと思えば、今はザイクスの社長をやっている上杉魁氏ほか数名が、
小島の指示で、ホーリーナイテスにふんどしを剥ぎ取られ、素っ裸にさせられる始末。

楽しむどころか、女性に対する何ともいえない劣等感…
劣等感という言葉すら適切なものかわからないが、
そういうモヤッとした感情が、僕には残った。


ザインのエロ儀式は「企画もののシュールなAV」と比較されることがあるけど、
AVの撮影とは、またわけが違う。

AVは、基本的には、シュールな状況をただ面白がっているだけだが、
ザインのエロ儀式の裏には、何ともいえない、
どす黒い『精神性』がベッタリと張り付いているからだ。

後から思い出すと、気分が悪くなる。
そんな代物だ。


そもそも女性にしたって、やりたくてそんなことをやっているわけではない。
当時参加されていた方は、何を思ってそんなことをしていたのだろうか。

自分の恋愛を叶えたいとか、
総帥の兵として立派になりたいとか、
やりたくないけど拒めないとか、

そういう、色んな感情がある中で、雰囲気のままに、
あんな屈辱的なことをしてしまったのだろう。

その後、僕がザインを抜けて以降も
「ディオニュイッソスの秘祭」「七つの海大作戦」「SK秘儀」と、
エロ儀式の鬼畜さはエスカレートしていく。

こうした儀式の非常識さは、女性会員の口から度々語られているけど、
どんな気持ちで彼女たちはそれに参加したか、
参加していてどんな気持ちだったか、語られることは滅多にない。

それだけ、ザインのエロ儀式は、女性の内面を傷つけているのだと思う。


ザインのエロ儀式は「性の解放」どころか、
小島露観の個人的な趣味で行われている悪ふざけに過ぎず、
ある種のトラウマを参加者に植え付けている。

結局、女性も男性も、小島にとっては蔑視の対象であり、単なる玩具だったのだろう。
そんなこと、考えたくもないけれど。


マジメな話…
性に関することって、無闇にオープンにするようなことじゃないと思う。
男も女も、性的なことに関しては、
何だかんだで変なコンプレックスや問題を抱えているケースがままあるからだ。

性的な物事は、ひとたび扱い方を間違えると、
個人の抱えているコンプレックスや問題を悪化させる恐れが多分にある。
そういうことを、小島や、他の幹部連は少しでも想像したことがあっただろうか?

2008年11月13日

いびつな「直言」

上下関係の厳しいザインでは、
「上位者に異議があれば、礼を以て直言すべし」という決まりがある。
そして、世間に対しては
「立派な人間と認められるように振舞うべし」とされている。

だが、これまでにも散々言い尽くされてきたことだが、
ザインでは、直言どころか陰口や告げ口が公然とまかり通っている。

「○○のこういうところが嫌い」とか、
「○○のこういうところに違和感を覚える」とか、
そんな言葉ばかりが日常的に乱れ飛んでいる。

で、小島や幹部にそれが伝わると、原因を波動のせいにしたり、
問題があるとされた者を悪存在呼ばわりしたりする。

「相手に直接言え」としながら、実際は陰口が横行する組織自体もおかしいが、
もっと恐ろしいのは、相手の気持ちや考えを慮ろうとしないのが
ザインの中では当たり前だということである。


冷静に振り返ってみると…
思ったことを直接言うことにしても、陰口や告げ口を言うにしてもそうなのだが、
相手の立場、気持ち、考えを、十分に慮っているとはいえないケースが
とても多かった気がする。

ただ、自分の思ったことを口にするだけ。
相手がどう思おうと、自分が思ったことを言えればそれで良しとする態度。

これでは、まともにコミュニケーションなどとれるはずもないし、
相手を傷つけることがあって当たり前だ。


僕自身を振り返ってみても、在籍当時はそんな感じだった。
自分の思ったことを、そのまま相手に伝えられれば良い…という意識しか、
僕の中にはなかった。

例えば…当時住んでいたアパートの大家のおばあさんに、
ちょっと何を言ったのかは思い出せないのだが、かなりひどいことを言ってしまい、
同居していたご長男に「年寄りになんてことを言うんだ!」と怒られたことがある。

本当に、恥ずかしい話だ。
今になって、とても反省している。


言葉は、ただ言えばいいってモンじゃないし、
思いや考えも、ただ伝えればいいってモンじゃない。

相手の状況や思いや考えを十分に慮った上で言わなければ、
伝わるものも伝わらない上、
下手をすれば、むやみに相手を傷つけることになりかねない。

言葉を「押し付ける」ような使い方をしてしまうと、
どうしたって無駄な軋轢を生んでしまうから、
恋愛も仕事も、なかなかうまくいかない。

これは、はっきり言って、核石や儀式以前の問題だ。

自分の中にある、そんなわがままさを少しずつ自覚して、
少しだけでも周りのことに気を配るようになってから、
僕は、少しずつ人間関係が上手くいくようになってきた。

気を配ることや、周囲を思いやることは、必ずしも自分を殺すことじゃない。
そうすることで、往々にして人間関係は豊かになるものだ。
今の僕は、心からそう思っている。


「言葉を大切にしている」はずのザインの中で、
相手を慮ったコミュニケーションが行われていない不思議。

だからこそ、現在、会員の命ゼニを搾り取るような営業が
平然と行われているのだな…と思う。

2008年11月12日

「波動」について

ザインでは、活動の初期から現在に至るまで、よく「波動問題」が起きている。

小島の妻・緑姫や、周辺の女性幹部が、目には見えない存在のエネルギーを受けて
おかしくなり、その原因を小島が特定して処理する、
そして、その結果を「神文学(しんもんがく)」として軍士に周知させる…
というのが、昔から今までずっと続いているザインの実態である。

僕が入ってからも、こういう「波動問題」はしばしば起きていた。

史織旭姫氏、吉川絵馬氏、瑞穂茄氏といった幹部、後には
霧島凛氏、伊坂連氏、天堂栞氏などといった「ホーリーナイテス」組が
少しでも精神的に不調を訴えると、それが小島に伝わり、
その度に「宇宙的な問題を特定して処理」していた。

賢明な読者の皆様はご承知のことと思うが、
いくら小島が宇宙的な問題を「快刀乱麻の勢いで」処理しても、
世も人も、何も小島の思うように変わってはいない。


「波動」の正体…
それはきっと、

ナーバスな気分であったり、
強い怒りや苛立ちであったり、
もっと悪い場合、鬱とかだったりするのだろう。

個人差によって程度の差こそあれ、誰もが感じ、陥るものでしかない。
それが、小島のお気に入りに起これば、たちどころに「宇宙的問題」になってしまう。

実におかしな話だが、ザインではこれが日常茶飯事なのだ。


この「波動問題」、多くの軍士に精神的な悪影響を与えているんじゃないだろうか。

剣修練を無断で欠席するのはご法度のザインだが、
霧島氏が具合が悪くなって黙って休んでも「波動のせい」ということで通ってしまう。

どんなに女性幹部連が感情的になっても、それは全て「波動のせい」。
自分自身の心模様を振り返ったり、当事者間で冷静な話し合いをすることなく、
原因はすべて「宇宙的な問題」に摩り替えられてしまう。

話を聴いてあげ、必要に応じて反省を促すのが指導者というものだろうが、
小島は、寵愛する幹部には「反省」など求めない。
反省すべき点は反省しなければ、心の持ち方が変わることなんてないのに。

また、精神疾患であれば、然るべき医療機関にかかるのが筋というもの。
小島は、そういう手配もするつもりがなかったようだ。

小島は、根拠のない万能感と誇大妄想に囚われており、
全ての問題を「自分の手で」解決したいと思っているだけなのだろう。


毎月、毎月、小島の論文に綴られているデタラメを読んでいれば、
それを読んでいる側も、精神的に少しおかしくなってくる。

しばしば誰かが何かの波動を受けている…そういう刷り込みを受けていると、
自分の精神状態が悪いときに、自分自身を省みることがなくなるのだ。
全て、何がしかの波動を受けているせいになってしまう。
そういう「責任転嫁」が肯定されてしまうのが、ザインという団体の怖さだと思う。

「気分が悪い。これは『波動』だ」
(自分には原因がない。原因は外にある!)というように。


恥を忍んで告白するが…
僕自身、コンビニでバイトしていたときに、
イライラした感情をコントロールできず、お客様の前でキレたことがある。

絶対にあってはならないことだけど、
当時の僕は「こんなにイライラするのは、波動のせいだな」と
思っていたのだからオソロシイ。


自分自身や、周りの人と真剣に向き合うことよりも、
目に見えないものへの責任転嫁を肯定するザイン。

何か嫌なことがあれば「波動のせい」にしてしまう人間や、
「私も波動受けになりたい」と言い出してしまうナイーブな人間や、
「波動」とやらのせいで自身を見失い、精神をおかしくする人間を、ザインは育てている。

爽やかな高士など、そこにはいない。


(追記:もっとも、目に見えないエネルギーを受けやすい体質で、
 ふとしたことでおかしくなる…ことも実際にあるとは思うが、
 実のところ当人がそれを「引き寄せている」ケースが多くを占めている。
 いずれにせよ、当人の心の持ちようをどこかで改める必要がある)

2008年11月11日

魂解体・再編〜おのごろ島作戦

何回か話題に上っている「おのごろ島作戦」について、
覚えていることを色々と書いてみる。

「おのごろ島作戦」は、全国の神社に
ザインエネルギーが入った石を埋める、というものだ。

古事記・日本書紀にかぶれていた小島が思いついたもので、
これをやることによって、日本をエネルギー的に制圧するのが目的だったようである。


この前後、「魂(こん)解体・再編エレウシス」という儀式があった。
儀式を執り行った結果、小島に忠誠を誓わない軍士の魂(平たく言えば自我)が
崩壊するようになったので、軍士は小島に忠誠を誓うよう誓言せよ! と
鎮台集会で指示が下った。

署名して、血判(このときはまだ拇印で良かったんだっけ)押したっけ。
「軽い気持ちで押すんじゃなく、よく考えて押すように」と
八坂櫂氏は言っていたが、押さなきゃマズい雰囲気が思いっきり漂っていた。


神社への石埋めも、この流れで行われた。

「総帥に忠誠を誓った軍士であるならば、この『おのごろ島作戦』を
 躊躇うことなく遂行せよ」

という通達が出され、積極的にやらない者は
「白山系の波動に取り憑かれている」などとボロクソに叩かれていた。

富山の台長をやっていたSさんなどが、作戦を邪魔している…とかで
退国処分になっていたが、多分「なんて罰当たりな!」と
心の中で強く感じて、実行を思いとどまったのだろう。


そんなわけで、僕も「おのごろ島作戦」に積極的に参加した。
大宮の氷川神社とか、川越の神社に石を埋めた。

今にして思えば本当に罰当たりなのだが、
当時は、罰当たりなことをするスリルを
自分の中で「使命感」と勘違いしていたような気がする。

まるで、小学生のガキみたいな心理状態だ。


僕以上に小島に心酔している軍士や、
小島の側にいることの多い幹部連は、また違った心境だったのだろう。

危険なまでに純粋な使命感か、
多分に勘違いの混ざった純粋さや繊細さか、

はたまた、年老いた教祖の戯言に打算で付き合ってのことか。

いずれにしても、僕のような心理状態とはまた違う気がする。


これまた明らかなことだが、いくら全国の神社に石を埋めたところで
ザインが勢力を拡大することは無かった。
ザインの他の活動同様、これも小島の思いつきによる、意味の無い罰当たりな行為であった。

小島はただ単に、指示を出して、その通りに軍士が動くのが楽しかっただけなのだろう。
そんな気がしている。


最後に…
僕のザイン以前の昔話をしながら、「目に見えないもの」について、
もう少しだけ語ってみたい。

あれは僕が、小学校4年生のことだった。
「神様って、ホントにいるのかな?」と思っていた僕は、いたずら心から、
下校途中に、近所の稲荷神社に立ちションをしたのだった。

そうしたら、見事にバチが当たった(汗)

当時僕は、朝、近所をランニングしていたのだが、
何故かフタのしてある側溝に足を引っ掛けて、転倒したのだ。
起き上がろうとしたが、また足をとられるように転び、左腕から思いっ切り落ちた。

背筋がゾクゾクする、ただ事ではない痛みだった。

左腕がポッキリ折れていた。
接骨院で整復してもらい、石膏のギプスをはめる羽目になった。

親に「立ちション事件」のことを正直に話したら、かなりキツく怒られたっけ。
「あ〜、バチが当たったんだ」と子供心に納得し、反省した。

かの福沢諭吉は、お札を踏みつけたり、便所紙代わりに使ったりしても
何事もなかったそうだが、僕の場合は違っていたということだ。

目に見えない存在をないがしろにするのは、絶対に良くないことだ。
かといって、目に見えないものをいたずらに恐れたりするのも違う気がする。

ビビるわけでもなく、へつらうわけでもなく、
かといって唾するわけでもなく、
一定の敬意を払う…というのが良いのかな、きっと。

そして、目に見えないものに対して、過度に畏敬の念を要求するような手合いには、
ちょっと気をつけたほうがいいんじゃないかな、と僕は考えている。

2008年11月10日

Riot、台長代行になる

しばらく筆が(手が)止まってました。
過去のことを振り返るのは、なかなかにエネルギーが要りますね。

そいじゃ、執筆再開といきますか!!


98〜99年頃の僕は、
伯壬旭総帥(こんな風に呼びたくないな)のお役に立ちたかった。
軍士としての自分の力を高め、そして誇示したかった。

その裏には、ザインの中で確固とした居場所が欲しい…という
気持ちがあったのだと思う。

僕は、内心において、ザインの中で地位を熱望していた。

(ああ、こんなことを振り返るのは本当に恥ずかしい)
(若気の至りも大概にしとけよ、と思う)


生来の生真面目さが認められたのか、北関東鎮台(支部)ができたとき、
台長(支部長)代行の任を拝命することとなった。

めちゃめちゃ高揚したが、その反面
「変なことのないようにしなければいけない」と思った。

修練を行えるよう、会場を手配しなければならない。
大宮、浦和、新座と、あちこち駆けずり回ったっけ。

直会の飲み屋の手配もやったなぁ…
かなりのチョンポもやらかした。


一番刺激的だったのは、台長には、各地区の報告書が送られてきて、
それに目を通すことができたことだった。
それぞれの支部の概況や、上官の報告書が読めたのは
ある意味、貴重な体験だったかもしれない。

(後に「ザイナスティアの真実」を立ち上げ、
在籍者情報をアップしたとき、
そこに書かれていたことが随分と役に立った)


僕は人前で範を示したい気持ちが並外れていたわけだが、その反面、
僕は人前で上手に話をするのが絶望的に下手だった。
人前に立つと、アガッてしまうのだ(汗)

東京東鎮台のYさんのように、人前で上手に話ができないことは
ものすごいコンプレックスだった。

だから、皆の前ではそれを押し隠すように、
空威張りするような感じだった。

きっと、不快な思いをさせてしまったことだろう。
今になって、そういう自分を反省している。


台長といえば、辞めたい人を説得するのも仕事だった。
電話に出なくなる人、何が何でも辞める! という人、色々いたっけ。

当時の僕は若く、今以上にイケイケで一本気だったので、
相手を説得する話し方などできなかった。

その一方で「本当に辞めたいなら、しょうがないよね」とも
思っていたので、いつしか説得はホーリーナイテスの八坂参謀に
丸投げするようになってしまっていた。


全国台長会議に出たときも、その後の飲み会でも、
長野の三沢さんとか、一部の人としか気安く喋れなかった。

僕の性格故か、上位者から疎まれていたのだろう。
それに、何を喋ったらいいのか分からなかった。
とにかく、それなりの地位についたにもかかわらず、
居場所の無さを感じていた。


自分の力がないのに空威張りするだけだったし、
内心のプレッシャーはますますキツくなるばかり。
途中からは「早くクビにならないかな」と、心のどこかで思っていた。

だから、闊氏と八坂氏に渋谷店に呼び出されて
クビを告げられたときは、正直ホッとしたものだ。

ちなみに、台長用に送られてきた各種報告書は、
返却を迫られたので、素直に返却に応じた。
(あー、コピーとっておけば良かった…)


その後、八坂氏から、修練に遅刻したときに、
「自分のこと、偉いって思ってるんでしょ!」と怒られたのだが、
あれは結構ショックだった。

自分が偉い…というよりは、どこか無理して
自分を大きく見せたかったのだと、今振り返ってみて思う。


人の上に立つというのは、大変なことだ。
ただ威張ればいいってモンじゃない。

そして人は、今の自分にできる以上のことはできないし、
自分の器以上のものを求めると、かえって辛い目に遭う。
このときのことは、本当に良い教訓になった。

2008年10月31日

政権、とれる?〜自衛隊との絡み

1999年頃から、ザイン内部では
「2000年〜2001年には政権を取る」なんて話が持ち上がっていた。

ガチガチの信者(苦笑)だった当時の僕は、
「ついにザインが政権を取るんだ!」と、お祭り気分でワクワクしていた。


この時期から、儀式の後に行われるイベントの来賓に、
武富士元会長の娘婿である高島望氏が訪れ、スピーチをしていた。

小島の話は聴いていても、高島氏が話を始めるとペチャクチャ
お喋りを始める軍士に「少しは私の話も聴いてもらいたい!」と
少し怒ったこともあったっけ。

きな臭い内部事情を深く知る、幹部クラスの軍士ならともかく、
僕を含めた大半の軍士は、「小島露観と高島望が繋がっていること」の意味を
あまり理解していなかったのだと思う。

小島露観は、高島望氏を通して、自衛隊への接触を図ったり、
経済安保研究会に顔を出したりして、その野望を実現させようと息巻いていた。
今だから言えることだが、高島氏は高島氏で、
当時は上げ潮ムードだったザインの資金力を当てにしていた節があったようだ。

他にも小島は、ホーリーナイテスを引き連れて、
来賓として自衛隊のイベントに顔を出したりもしていた。

その様子の一部は、当時の機関誌「グロリア」に記されている。
グロリア14号には、小島露観と高島望氏が、当時の最新式の戦車に
乗っている写真が表紙を飾っている。

―― 漠然とした高揚感と、「その時」に備えて
気を引き締めなければとの思いが、当時の僕にはあった。
他の軍士仲間も、(そのとき『目が覚めて』いなければ)
多かれ少なかれ、同じようなムードを感じていたのではないかと思う。


99年には、ザイン幹部にとどまらず、
各地区の軍士たちが、自衛隊の駐屯地見学に出かけていった。
(きっと、高島望氏の根回しがあったのだろう)

僕も、99年5月20日に、木更津駐屯地に見学に行った。

「ザインと自衛隊を繋げる仕事だから、観光気分になるな」みたいなことを
事前に上官から言われていた。

輸送用ヘリに乗せてもらったり、食堂で大盛りのカレーライスを食したり、
記念にTシャツを購入したりした。
貴重な経験をさせて頂き、使命感と新鮮さからくる高揚感を感じていた。

担当の自衛官のオジサンは、
「こういう若い方が国防意識を持ってくれて嬉しい」といったことを
喋っていたけど、ザインという組織の実態が知れ渡った現在は
一体どう思っているだろうか。


その後、当たり前のことだが、クーデターなど起きるはずもなく、
そんな話などなかったかのように時は進んでいった。

一応、小島とホーリーナイテスメンバーの一部は、高島氏を媒介に
自衛隊との会合を持っていたようだけど、
それもいつの間にか無くなったようである。

2003年のザイン主催の講演会「日本様式」以降、
高島氏と小島との間の繋がりは分からないままだ。
報道もあったことだし、もう自衛隊に接触云々ということもないだろう。


小島や高島氏の思惑の中でつくられたムードの中、
実際にザインが政権をとったら、人々はどうなるのか…という想像が、
僕の中には欠けていた。

いや、正確には…
「政権奪取後のザイン」について色々と想像してはいたのだが、
都合の良いバラ色の未来しか想像してはいなかったのだ。

小島露観という人間の独善性に何の批判も抱かなかった僕には、
なにひとつとして、『現実的な想像』ができなかった。
今思えば、恥ずかしい限りである。

2008年10月30日

心を病む仲間たち

ザインの中にいた時も、辞めてこの活動をするようになってからも
気になっているのが、心を病む人がいかに多いかということである。

僕が軍士だった頃から、既にそういう人が何人かいた。

代々木店〜仙台店で働いていた奏居さんとか、
クルセイダー・フォーダブルというチームを組んでいたTさんとか、
割と良く喋っていたKさんとか。


ザインで軍士としてやっていく…ということは、小島露観や幹部がどれだけ
「軍士をやるということは、自分の本心を貫いていくことだ」と吹聴しようとも、
実際は、自分の本心の一部〜もしくは大部分を押し殺して、
小島の指示に従い続ける…ということである。

自分の中の理想 ――
「やりたいこと」や「なりたい自分」が実現できないことと、
「ザインの軍士としてやっていかなければならない」ということの間で、
もがき苦しむケースもあるだろう。

それに、両親をはじめとする家族の反対も、
心に大きな重圧と痛みを与える。
上に書いたTさんやKさんも、親の強い反対があったという。

また小島は折々、「大義、親を滅す(たいぎ、しんをめっす)」と口にしている。
ザイン計画のためならば、家族など捨ててみせろ! と
組織ぐるみで軍士にけしかけているのだ。

親との間には、それぞれ色々あるだろうが、
100%親が憎くてたまらない子供なんて滅多にいない。
元々持っていた親に対する愛憎を、
ザインによってぐちゃぐちゃにかき混ぜられれば、心が痛むのは当たり前だ。

ザインにいたから心が病んだ…と単純に断定することはできないけれど、
ザインにいることが、確実に、精神的に悪い影響を及ぼすであろうということは
ハッキリと断言できる。


そして、僕がかなり気になっているのが、当時18〜19歳だったT少年のことだ。
彼は、電車の中で機関誌を開いて読むほどに、小島の思想に傾倒していた。
ザインの活動に対して、時には僕がドン引くほどに意欲的だった。

だが、あるとき渋谷の店舗に顔を出したとき、突然意味不明な言動をし始め、
その後すぐに、入院措置がとられた…という。

多感な年頃だ。
ザインに傾倒する心の裏に、様々な迷いや葛藤があったのかもしれない。
―― 今は、どうしているのだろうか。


生きていくのは、時にはつらいこともある。
どん底まで落ち込んだり、悩みや葛藤を抱えることもあるだろう。

だけどザインや、その他カルトは、
自分たちの大義名分のもとに、都合の良い美麗字句の影で、
そんな心の痛みをさらに広げるようなことを、平気で行っている。

とても、悲しいことだと思う。

2008年10月29日

通達の読み方

毎月届けられる、ザインの通達とDM。
それに目を通すことは、当時の僕にとっては楽しみと恐怖が
微妙に入り混じった義務だった。


DMが届くたびに、通達類をチェックする。
まずは昇降格者のチェック。
自分の知っている人が昇格しているか、また放逐されているかどうか、
ざっとチェックする。

知っている人が昇格すれば、
「スゴイな」という羨望と、「ヤバいな」という焦りが涌き、
逆に退国処分が下ると、ザインへの恐れの気持ちが湧き上がる。

義務感と恐怖感と安堵感からくる緊張を、
「背筋が伸び、襟が正されるような思いがする」と、ひとり勘違いしていた。


そして、論文に目を通す。
書いてあることは、大抵が難しい内容(数学などをベースにしている)である上に、
小島露観の『達筆』を解読しなければならないことから、
自然と目を滑らせるような読み方になっていく。

読んで理解できるのは、生活感ある話題や時事などの卑近な題材と、
「○○は△△であることが判明した」という部分と、
長い長い文章の結論としての「○○しなければならない」という部分だけである。

僕のもとには「社員は、小島の思想をオウム返しに喋っているだけだ」といった声が
たまに寄せられるのだが、それは当然だ。

彼らもまた、小島の長く難解な文章の論理的背景は理解できず、
その末に示される単純な結論しか理解していないのだから。

にもかかわらず、社外軍士には
「読み込んでいけば分かるようになる」
「細かいところは理解できなくとも、何が書いているか分かるものだ」
などと、無茶苦茶なことを言う始末である。


Riotとしての活動をやっていくにしたがって、
「論文は読んでいなかった」という元軍士の方が
かなりいらっしゃることが分かり、「みんなそうなのね」と苦笑している。

そして、今になって僕は、
小島が分かりにくい文章を書くのは、「確信犯」なんじゃないかと思っている。

理解が難しい文章を無理矢理読ませて思考停止に陥れ、
その後で分かりやすい単純な結論を提示することで、
その趣旨を受け入れやすくする…という狙いがあるんじゃなかろうか、と
僕は読んでいる。


最後に、DMを見る。

直前に開催する儀式に関する「新事実が発覚!」チラシを見る。
さすがは時間の神の軍団。宇宙的な事実が次々と発覚していく。

…と、こう書くと、僕のいつもの皮肉のようだが、
この頃はまだ心からそう思っていたので、いつも感動を覚えていた。

聖品パンフレット、そしてチラシ。
買う金がない。面白そうだけど、それ以上の購入意欲は湧かない。


これが、僕の毎月の『決まりごと』だった。

2008年10月28日

一人称「自分」

ザインにおいては、軍士は一人称を「自分」と言わなければならない。
ザインは軍隊だから…というのが、その理由である。

僕は、ザインに入ってから、すっかり一人称が「自分」になっていた。

家族をはじめ、ザイン外部の気兼ねなく話せる人が相手なら、
自分を「俺」と言ったりしていたのだが、そうでない場合は「自分」と言っていた。

この「自分」と呼ぶ癖、教団を辞めてからも、なかなか抜けなかった。

ザインを辞めて、Riotとしての活動を始めるようになって、
ある元軍士の方と話をしていたら、
「Riotさんは、まだ自分のことを『自分』って呼んでるんですね」と、
ちょっぴりおかしそうに指摘された。

―― 俺はまだ、ザインに縛られているのか?!
ハッとさせられた。

他愛もないことだけど、マインドコントロールの影響の一端が
こんなところにも現れているのだと知り、少し怖くなった。


ちなみに今は、自分のことを「自分」とは言わなくなっている。
少しだけ、ザインからの呪縛から解き放たれたのだと思って、
ちょっぴりホッとしている。

2008年10月27日

服従と放逐と

ザインでは、「礼を守れ」という名の下に、
小島露観やその一家への絶対的な服従と忠誠が求められ、
幹部をはじめとする「上官」に対しても、服従を強いられる。

教団内では「礼を守ることが、自然法則の実践である」とされていたし、
元々僕自身が無作法を嫌う性質でもあったため、
積極的に礼を守ることを心がけていた。

その一方で、しばしば、小島や教団の意に沿わぬ者を
「○○であることが判明したため」という名目で、
化け物呼ばわりして追放している。

こうした教団の体質は、時間を追う毎に、僕の心にじわじわと暗い影を落としていった。


僕が最初に「放逐処分」を目にしたのは、軍士になる前だった。
代々木店に行ったとき、当時は新人軍士であった吉村真季さんが、
誰かの「除国通達」を広げ、ビビりながら京忍氏に質問していた。

京忍氏は、冷たい表情で「こういうこともありますよ」と返答していたっけ。

厳しい所なんだな…
でも、だからこそ自分が磨かれるんだろうなと、
その当時の僕は漠然と思っていた。


軍士になって最初のうちは、純粋な意欲に燃えていたから、
「○○が△△だと判明したため、退国になりました」と通達される度に、
恐怖感以上に、気を引き締めなければ…という気持ちがあった。

しかしザインにおいては、小島が怒ったり、辞めたい人間に対して
組織として「こちらから辞めさせる」という処遇をしたりするため、
しばしば退国処分が下っていた。

いつ、自分が小島や幹部連に目をつけられ、退国処分になるか分からない…
退国処分になったら、存在が徐々に崩壊していく…と言い聞かされていたし、
幹部クラスの人間に気に入られていなかったこともあって、
僕の中では「放逐されることへの恐怖」が徐々に大きくなっていった。

毎月届く通達。
小島の論文をザッと斜め読みして、僕が悪存在扱いされていないか確認。
取り上げられていないのを見て、ホッとする。
―― そんな感じだった。

いつの間にか、「ザインの役に立つこと」から、
「放逐されないように、ついていくこと」に、目的が摩り替わっていた。

上位者と話すとき、「礼を守らなければ、悪存在と思われないようにしなければ」と
不安の気持ちでいっぱいになっていた。

僕は、「人から何を思われても気にしない自分」になりたくてザインに入ったのに、
ますます「人から何を思われるか、とても気にする」ようになっていた。


さらに、僕の心にどんよりとした影を落としたのは、教団における上下関係である。

剣試験によって与えられる称号のほか、ザインへの貢献度によって定められる階級。
多くの仲間が剣試験に合格し、十星剣士、秘剣士になっていき、
中尉、大尉、少佐…と昇格してゆく中で、僕はずっとヒラのままだった。

こないだまで仲良く話していた仲間が、
上位者として「礼を尽くさねばならない存在」になっていく。
また、何がしかの理由で「退国処分」が下り、
ザインの敵とみなされて教団を去ってゆく。

対等な立場で気軽に話をしていた仲間の昇降格、
ザイン内部の毀誉褒貶の激しさは、僕の心に微妙な影を落としていった。

心休まる居場所であり、同時に戦場であったはずのザインは、
ただすがりつくだけのものに変わっていった。


もうひとつ、小島露観は、
「退国処分を受けても、私への信が揺らがなければ、
 メカニズムが崩壊することはない」ということを言っている。

それを固く信じる軍士たちは、一旦退国処分を受けても
小島を固く信じ続け、機会さえあれば復帰してくる。
たとえ教団を放逐されても、彼らの心の大きな部分をザインが占めているのだ。

退国後の「復帰勧告」で、たくさんの元軍士が復帰に応じていたことを知り、
僕はザインの罪深さに暗澹とした気持ちになった。
たとえザインと直接的な関わりを持たなくなっても、小島の思想は
未だその人の心にドンと居座っているのだから。

辞めたからといって、必ずしも「ハッピーエンド」とはならないところに、
ザインの、カルトの罪深さをひしひしと感じる次第である。


Riotとして活動していく中で分かったことだが…
ザインにおける昇降格は、小島や上官にどれだけ気に入られたか、
どれだけのお金をザインに落としたかが基準になっているという。

そんなものにビビッていた自分が恥ずかしいと同時に、
理不尽な上下関係を気にせずに済み、
対等な関係で人とやりとりできる今の生活を喜ばしく思っている。

2008年10月26日

ザインは宗教ではない?!

ザインはカルト宗教だといわれているし、今の僕も確かにそう思う。
しかし、その中にいる人間の多くは、決してそうは思っていないし、
僕も当時はザインを至高のものだと思っていた。

昔の機関誌「ザイン・リポート」より、「ザインと宗教の違い」を述べた文章がある。
当時の僕の論理的・精神的根拠となっていたこの文の全文を引用してみる。

 富士皇朝が宗教に似ているとは一般からよく言われることである。富士皇朝と宗教の差を完全に表す事実がある。それを述べておく。
 宗教は信ずる者だけの世界であり、その宗教を信じない者即ち信者でない者にとってその宗教は自分と関係のないもの、事実上存在していないもの、に過ぎない。だが富士皇朝の力は皇朝内の者、外の者、に等しく作用する。皇朝を信じていようといまいと、富士皇朝の名を知っていようといまいと、富士皇朝が代表する宇宙的な力は一様に作用する。なぜならその力は宇宙の自然法則だからであり、何人たりといえどもその自然法則から逃れようがないからである。
 何人たりといえどもこの自然法則という名の「力そのもの」から逃れようがない。人々はこの力の恩恵を受けるかそれともその力によって滅ぼされるのか、二者択一の立場にある。中立的な立場というものは存在しない。そこが皇朝と宗教の間の決定的な差である。宗教は選択の世界である。キリスト教を信じまいとキリスト教の力によって滅ぼされるわけではないし、仏教を信じまいと仏教の力によって滅ぼされるわけではない。だが自然の法則という名の「力そのもの」はそれを信じない者を情容赦なく滅ぼしてゆく。それだけではない。たとえ信じていても法則を実践しない者に対しては同じく情容赦なく滅ぼしてゆくのである。そして法則が最も厳しく裁くのは人の発する「言葉」である。言霊としてのコトバを裏切る者、冒涜する者、は確実にその存在とその運命が殺されてゆく。


当時の僕は、ここに書かれていたことを、そのまま信じていた。


まず小島露観は、ザインエネルギーを
「絶対に存在し、作用するもの」
「不自然なものを淘汰し、自然なものを栄えさせるもの」と規定している。

自分や周囲の『不自然』を打破したいと強く思っていた僕にとって、
ザインエネルギーの真偽を疑うことなどあり得なかった。
また、核石購入がきっかけでザインに入り、その力を信じていた方にしてみても、
ザインエネルギーが「実際に存在し、作用している」ことが、
その信の前提になっていたはずだ。

その上で、ザインエネルギーは、他の宗教のような「思想」とは違って、
実際に自然的に、また人為的に駆動され、
不自然な存在をことごとく滅ぼしていく…とされている。


ザインは、キリスト教や仏教などとは違う。
ザインに逆らう不自然な者は、容赦なく滅ぼされる。

ザインは、オウム真理教とも違う。
オウムは、小島の「革命思想」に感応して事件を引き起こしただけなのだ。

ザインは、宗教ではなく軍隊だ。
思想という「能書き」を垂れるだけにとどまらず、
時間の神の意志を地上に具体化するために戦う者の集まりなのだ。

―― 教団の中ではこういう考え方になっていたし、僕もそうやって、
自分の中にあるザインや小島への信を正当化していた。


笑い話に思われるかもしれないが…
僕は、オウム事件の報道をテレビで見ていて、
「宗教って怖いな、俺もなるべく関わらないようにしよう」と決めていた。

にもかかわらず、小島の言葉を真に受けていた僕は、
「ザインは宗教ではない、それ以上に価値ある軍団だ!」と信じ、
無意識のうちにそう自分に言い聞かせながら、
ザインの活動に身を投じることになっていったのだ。

今なら冷静に「馬鹿も休み休み言えよ」と言えるのだが、
当時の僕は若く、弱く、未熟だったため、小島の詭弁に気付くことができなかった。
『自分を変えたい、世の中を変えたい』という思いばかりが先走っていた。
その強い思いと、ザインへの信は、僕の中で固く固く結びついていたため、
ザインを疑うことなど考えられなかったのだ。


ザインでは、小島を絶対のものとして信奉し、
その思想や言葉を絶対のものとして受け取ることを求められる。
「宗教ではない」というのは体裁の上だけのことで、
何がしかの教義を信奉することを求められる以上、実質上の宗教である。


しかも、小島の思想は、ザインを絶対のものとし、
他の思想は偽のものである…とする、排他的なものである。

他を悪し様にこき下ろす姿勢の裏には、
「ザインだけを信じていればいいんだ」という小島の言い分が見え隠れしている。
小島が他を否定することで、軍士や軍団員は
『自分の信ずるザインは絶対のものだ ―― 』と思い込んでしまう。

(他を一生懸命否定する連中って、何かの狙いがあるケースが多いから、
 ザインに限らず、眉に唾してかかったほうがいいと僕は思う)

小島の持つ排他性が、どれだけ個人の内面に混乱を与えているか。
そしてどれだけの社会的危険性を孕んでいるか。
今になって、ゾッとする。


小島への服従はもちろんのこと、組織内の上下関係もまた絶対のものである。
小島や幹部連の意に沿わないものは「化け物」のレッテルを貼られて放逐されるし、
現在においても小島や幹部は「信を問う」という名目で、
高額な商品を会員に売りつけている。


実際に、過去に政治団体として登録し、幼稚ながらもクーデターの準備をしていたこと。
現在においても、その反社会性は健在であること。
そして、その構成員の多くは「エゴを捨てろ」との名目で教団への滅私奉公を求められ、
個人の幸せを謳歌できるような環境・心境にないこと。

こういった点をも重ね合わせれば、ザインは宗教法人でこそないものの、
実質上のカルト宗教であることは間違いない…と断言できる。


―― と、こんなことも「今だから言える」ことなのだ。
「自分を変えたい」と強く願う心の拠り所をザインに求めていたあの頃の僕は、
批判的な目からザインを見るということが、どうしてもできなかった。

2008年10月25日

エレウシスについて

ザインの儀式について、僕が体験したことを振り返ってみる。

(僕が在籍していた当時は、ザインの儀式は『エレウシス』と呼ばれていた。
 現在は「オペレーション」と呼ばれている)


僕が最初に受けた儀式は、1998年の「スーパーエレウシス」だった。
これは、平たく言えば、全国各地のパワースポット(?)を歩き、
ポイントに到達したら皆で剣を振る…というものである。

当時のザインは、毎年「軍士は万難を排して参加せよ」と指示が下る
夏合宿を行っていた。
この儀式は、夏合宿と兼ねたものであったため、
必ず参加しなければならなかった。


僕はお金がなかったから、剣修練には参加してはいたものの、
儀式への参加は極力控えていた。

だが、99年の「時間兵器エレウシス」を受けて以降、
少しずつ儀式に参加するようになっていった。

その後、小島の書く「論文」や、ザイン社員の口ぶりから「空気を読み」、
参加しなければマズいと思われる儀式は、参加するようにしてきた。

年に何回かは、ザイン計画によって重要と位置づけられる儀式が行われ、
それらは「万難を排して参加せよ」と指示が下った。
「お金がない」「仕事で時間がとれない」といった理由は一切通じず、
それらは幹部に「言い訳だ」「やる気はあるのか?」と厳しく指弾された。

年を追うごとに、そんな「万難参加」の儀式が増えていった感がある。


儀式の中には、イベントと併せて行っていたものもある。
開放的な雰囲気に加え、全国から軍士が集まってくることなんかもあって、
僕は結構楽しんでいたなぁ。

ホーリーナイテスの剣舞(La passioneは良い曲だ)とか、
ジョーン・バエズの「We shall oveecome」の合唱とか。

「これも、カルトのマインドコントロールのいち手段だよな」とか、
「政権取ると言いながら、所詮は内輪で盛り上がるだけだよな」とかは、
今だから言えることである。


侘しいフリーター生活。
毎月の会費に加え、儀式の費用はバカにならず、
僕は、サラ金から借金をするようになっていった。

それでも、軍士としてザインに貢献するのが当然だと考えていた。
儀式に参加すること、小島の話を直に聴くことで、
「世界戦略に参加している」という自己満足的な高揚感を感じていた。


ここまでして受けた儀式の効果は、完全にゼロだった(苦笑)
むしろ、小島露観への信奉と怖れを高める効果のほうが、
強く、確実に感じられた。

儀式のエネルギー自体は、会場で参加していると、
剣を振っているときや、座禅のときに背筋が熱くなるなど、
一応、体感することはできる。

ただ、そのエネルギーが、実際に人間を変えるかどうかは別問題だ。
何となく背筋が熱くなる、儀式の前後に体調を崩す…だけで、
実際に人間的成長を遂げたり、良いことが起こったりしたことは
ただの一度もなかった。


現在のザインの儀式だが…
60万円も出して「年間契約」をして、
開催する全ての儀式に申し込むのが義務化している。

年間契約「オペレーションPC」を申し込ませるため、
「カード番号を教えてくれ」と社員が会員に迫り、渋々教えたら
その社員が、本人の承諾なしに勝手に契約してしまった…なんて例もあると聞く。

これが「ザイン計画」というものなのか。
少しでも、この計画に乗ってしまった自分が悲しくなる。

2008年10月24日

剣を振る

ザインでは、「剣」と「礼」が重視されている。
今回は、剣に関するエピソードや、僕の思うところを書いていこうと思う。


ザインで基礎になるのは、「0剣」といって、
単純に上から真っ直ぐ振り下ろす剣だ。
剣を振ることでザインエネルギーを駆動し、
様々な大小の事象を変えていくことが軍士に求められており、
疎かにすることは許されなかった。

剣筋がブレずに振れるようになるために、時間を見つけては練習した。
立て鏡をリサイクルショップで買って、片膝立ちで剣筋を確認しながら
うまく振れるように練習していた。

剣を振るのは、気分がスッキリして、割と楽しかった。

部屋の中だけではなく、外でも剣を練習した。
最初、近所の社宅敷地内の公園で剣を振っていたが、
住人の誰かに通報され、警察を呼ばれてドエライ目に遭った。
それ以後は、夜中に、少し離れた公園でひっそりと剣を振るようになった。

先輩軍士に言わせれば
「通報されても構わず剣を振っていれば、そのうち周囲は諦める」
とのことだったが、小心者の僕にそれは無理だった(苦笑)

今にして思えば、何て無責任なんだろう…と思う。


0剣試験に合格して、十星剣の練習をするようになった。
ザインでは0剣に加えて、七芒星をなぞる剣筋と、
左右の袈裟斬りの剣筋を併せて十星剣と呼んでいる。

剣筋を正確に振れていて、波動が出ていなくてはならない。
自宅での練習だけではなく、当時の渋谷店で行われていた補習に、
毎週のように参加した。
軍士仲間との交流もあって、楽しかった。

それでも、剣試験にはさほど通らなかった。
各剣筋において試験があり、それに合格することで
「十星剣士」「秘剣士」「時剣士」といった称号が与えられるのだが、
僕は結局、十星剣士にもなれなかった。


後になって冷静に過去を振り返ったり、
他の方から教えて頂いたりもして、僕は確信しているのだが、
剣試験の合否は、かなりのところ、小島の機嫌や主観に左右される。

小島の機嫌が良かったり、お気に入り軍士が受験すれば合格させ、
小島の機嫌が悪ければ、容赦なく不合格にして、その場で叱責を加える。
最悪の場合、試験そのものが中止になったりもする。

そういえば…
台長代行をやってた頃に受けた剣試験で、小島に怒鳴られたっけ。
「Riot、何なんだ、その剣は!」

あと、ある古参軍士が、「やる気はあるのか!」といった風に
悪し様に罵られ、小突かれたのも見たことがあったなぁ。
ひどい話である。

「良い剣」の基準だって、ビュンと音を立てて力強く振ることから、
音を立てずにスッと振り抜くのが望ましい…という風に変わっていったが、

これは、教団の人集めのやり方が「パワーストーン・アクセサリ」を通して
女性を集めるように方針転換したためであり、
ホーリーナイテス(教団の広告塔である女性騎士)を
持ち上げるためなのではないかと、僕は考えている。

その後も、「良い剣」の基準は、小島の思いつきに応じて、
いい加減にコロコロと変わっているようだ。


もうひとつ。
僕が在籍していた当時、剣修練への参加は義務となっており、
「仕事のため」といったやむを得ない理由であっても、
休み続けると「やる気はあるのか!」と上官に厳しく叱られたものだった。

今は、そこまで厳しく「剣修練に出ろ!」とは言われないらしい。
「支払いのお金をつくるために働く」ほうを優先させる方針だそうだ。
そんなところにも、ザインの出鱈目さがよく現れていると思う。


時剣士試験に合格した人でさえも、小島の気に入らなければ
ザインを辞めさせられていく現状を、僕は知っている。

剣って何なんだろう。剣試験って何なんだろう。
小島の自己満足と、人心掌握以外の何物でもないんじゃなかろうか?


剣を「必須のもの」として練習し、修練に参加し、試験を受けていくことで、
小島の理不尽さを当たり前のものとして受け入れなければならない…という
思考や感情が育っていく。

ザインにおける剣は、宇宙エネルギーを駆動するどころか、
実際は、マインドコントロールの一手段でしかない。
実に嘆かわしいものである。

2008年10月23日

軍士としての「やり甲斐」

軍士(見習朝士)になった僕。

ザインでは、剣の修練が月に1回行われている。
初めて参加したのは、静岡・富士での野外修練だったと記憶している。

当時のザインは、富士の一ヶ所に全員が集まって修練を行っていた。
今みたいにガツガツしてなくて太っ腹だったから、
道着は支給、そして会場までの交通費を一部支給してくれた。

全国から集まってくるものだから、
愛知から来たN君とか、新潟から来た稲垣さんとか、
色んな人とお会いしたことを覚えている。

直会(なおらい=飲み会のこと)で、小島と幹部軍士に挨拶した。
酒が入っているおかげか、皆、気分良く
僕を受け入れてくれた…ような記憶がある。


その後ほどなくして、中央1ヶ所での修練開催は難しくなったのか、
各地方ごとに修練を行うようになった。
関東地区の軍士の多くと顔馴染みになり、
それなりに親しく話せる人も増えていった。

合宿やイベントなど、軍士全体に対して「万難を排して参加せよ」と
通達されるイベントでは、全国から軍士が集まってくる。
普段顔を見ることのない仲間と出会い、話すのは楽しかった。

今は、だいぶ体質が変わってしまっているようだが、
この時期はまだ、軍士の間に仲間意識があった。
その中に加われるということは、対人関係に不安を抱えていた僕にとっては、
結構大きな支えになっていた…と、今になって思う。


当時の小島露観は、現在よりもはるかに真面目に
「政権を取る」ことを考えていたようで、97年末には
「日本の政官財の腐敗体質・腐敗人種を徹底的に調査せよ」なんて指令が
軍士に下ったこともあった。

(この頃は、高島望と小島露観との間に蜜月の関係があったから、
 小島もこんなイケイケの態度でいられたのだろう)

「革命法廷で検事を務められるほど徹底的に調査せよ」とのことだったが、
僕を含めた軍士の多くは「日本の現状の、何が、どう問題なのか」という
基礎知識が大きく欠けていたため、結局大学生のレポートにも劣る
お粗末な調べ物しかできなかった。

それでも僕個人は、
「御上のお役に立ちたい、こんなことでも御上の役に立っている」という
気持ちが満たされ、嬉しかったのを覚えている。

(これもまた、マインドコントロールのいち手法なのだが)

98年2月に、本朝士として正式登録。
迷いなんてなかった。

小島の著書が出れば、指定の書店での購入はもちろんのこと、
ビラ配り、ポスティングも喜んでやった。


こんな風に、軍士になって最初の2年くらいまでは、
皇朝を建国するため…という使命感とやり甲斐で、純粋に突き進んでいた。
ザインにいることに対して、すごく前向きな気持ちを抱いていた。


しかし、ザインのカルト性 ――
カルトの悪しき側面は、徐々に僕の心に浸潤してゆく。

使命感とやり甲斐で突っ走っていけた日々はやがて去り、
その先にあったのは、積極的盲従と、内心の脅えの日々だった。

2008年10月22日

願いの井戸に溺れる

ザインに関わる前後の僕の状況についても、少し書いてみる。

ろくに大学に行かず、単位取得もままならないものだから、
大学から親のほうに連絡がいって、当然のことながら大モメになった。

両親は、さぞかしガッカリしたことと思う。

僕は、「何が何でもプロミュージシャンになる!」
「大学の勉強をやる意義がわからないんだ」と頑なに主張し、
両親も仕方なく、それを認めてくれた。

結局、1年休学し、それでも気持ちが変わらなかったので
僕は、大学を退学した。

周囲の人々に「なんでやめちゃうの? 勿体無い!」と言われたけど、
そう言われる度に、めちゃめちゃ腹を立てていた。


なかなかバンドを組んでの活動ができなかったが、
自作曲のデモテープを作り、メンボでやりとりをした結果、
ようやくバンドを組むことができた。

名づけて「Wishing Well」(願いの井戸)。

でも、当時の僕はアイタタタだったので、
自分の実力不足、心の狭さを棚に上げて、
自分の思い通りの音楽にならなければ気がすまない体たらくだったので、
他のメンバーに結構ひどいことを言ったりもした。

当時はただただ必死なだけだったけれど、
今になって、すっごく反省している。

結局、自分の望むような音楽ができないのと、
他のメンバーの反応に頭にきたこともあって、
飛び出すようにバンドを抜けたのだった。


そうそう…
この前後に、僕はブラザーフッド〜軍士になっていたから、
ふとしたきっかけで、ギターの奴とキーボードの奴に、
件の「異性の者」を読んでもらったことがある。

ギターの彼は
「確かにその通りだけどねぇ…」と言い、
キーボードの彼は、
「そんなものに従わなくても、幸せになれるはずだよ」と言った。

当時はその反応にガッカリしたものだが、
今なら、ごもっともだと心から思える。

自分が心から素晴らしいと思い、共感していることだからといって、
他人も同じように思ってくれるとは限らない。
ましてや、冷静な第三者が、こんなアヤシイ団体を見れば
なおのこと、そう思うはずである。

色々な意味で青かったな、俺。


ちなみに、両親にはザインのことは
「居合のサークル」と誤魔化しておいた。

保守的な両親のこと、本当のことを言えば猛反対されるのは
火を見るより明らかだったし、またそうなることを僕は恐れていた。


こうして僕は、自ら掘り出した願いの井戸に溺れていくのだった。

2008年10月21日

小島露観に会って

川崎の、とあるマンション。
教団内では「多賀城」と名付けられたその一室。

そこで、Riotは小島露観と初の対面をした。

その日は、小島と、何かのイベントを終えた軍士達の飲み会だった。
そのついで…といっては何だが、良い機会ということで、
僕のようなブラザーフッド有志と小島の顔合わせが企画されたようである。


初めて見る小島露観は、とても気難しい印象だった。


自己紹介し、少し話したところで、こんな言葉をかけてもらった。

「お前は、人柄はいいが、軽薄だ」

―― 僕の人生を変えた言葉である。

リアルの僕を知っている人なら分かるかもしれないが…
確かに僕には、軽薄なところがある。

「うまいことを言うなぁ」と感心すると共に、
「このお方は、人の本質を看破できるんだ、スゴイ!」と感銘を受けた。

実際に幹部クラスの軍士に会ったのも、初めてだった。
酒の席だったことも手伝ってか、思っていたよりは怖くない感じがして、
僕のザインに対する警戒心は、さらに緩んでいった。



しかし僕は、軍士(当時の呼称は「朝士」(ちょうし))になるのを
まだ躊躇っていた。

その後金環蝕に行って、京忍氏と話をした。
細かい内容は覚えていないのだが、
確か僕はこんなことを言ったような気がする。

「朝士に興味はあるんですけど、なるのは怖いんです」
「朝士って、どんなことをするんですか?」

京氏は、やや冷たい口調で

「飲み会のほかは、剣を振るくらいで、特別なことはしませんよ」
「あなたが本当に自分を変えたければ、踏み出さなければいけない」

といった風に答え、そしてこう言った。

「朝士になりたまえ!」

この一言で、僕は朝士になることを決めた。


1997年10月。
Riotは、見習朝士(当時の資格)になった。

2008年10月20日

異性の者

核石を買って2ヶ月くらいしてから、
会員誌「核石倶楽部」が送られてくるようになった。

僕は「核石倶楽部」を通して、小島露観という人間の存在とその思想を知り、
そして徐々に興味を抱くようになった。

小島の言葉は、ひとつひとつが、僕の心を掴むものだった。

「現代では、実態とラベルが全くと言って良いほど合ってない」
「民主主義などペテンだ」
「民は真に自分たちの事を専一に考えてくれる政治形態なら本当は何でもいいのだ」
「有名人の一体どれだけの人がその有名にふさわしい実態を持っているだろうか」
「心の素直な人には本当の意味の不運不幸はない」


世の中の色んな不条理に疑問を抱く自分、
自分自身の抱える弱さをどうにかしたい自分に、
小島の言葉はズンズン響いた。

小島の提唱する理論の細かいところは理解できなかったが、
それでも、この人物は凄い人間なのかもしれない、
これからどんな発言をするのだろうか…と、ますます興味が湧いてきた。

このとき、ザインのことに関しては、
「そういうものもあるんだな」程度の認識しかなく、
自分が参加することを考えてはいなかった。

しかし、僕の中の興味は「傍観する」から「参加する」ほうにグッと振れていく。
その大きなきっかけが、「異性(いしょう)の者」という記事を読んだことだった。

少し長くなるが、引用してみる。

「君は蟻は人間や車に踏み潰されやしないかと思って毎日ビクビク暮らしていると思うか。蛙は蛇に食べられやしないかと思ってビクビク暮らしていると思うか。」

「自然界の生き物はふだんは何の恐怖も無しに生きている。ところが人間だけは人に何か言われやしないか笑われやしないか、嫌われはしないか、暮せなくなるのではないか、とビクビク生きている。つまり人間の持つ恐怖は自然のものではないのだ。不自然なものなのだ。恐怖はその人の中の不自然な部分から立ち上ってくる。その人自身ではない部分から立ち上ってくる。富士皇朝は単に自然環境を回復することを意図しているのではなく、人間の心の中にこびりついた不自然なものを除去することを意図している。人間の心の中の不自然なものの代表が恐怖なのだ。」

「傷つくのは本来の自分ではない。エゴだけだ。」

「他から何か言われてすぐに傷つく人はある意味で正直だ。正直な人は本来の自己を取り戻して強くなれるけれども、不正直な人はすぐに傷つく人よりもはるかに本当は傷つき易いくせにその弱さをゴマ化しているのだから決して本来の自己に戻ることはできない。常に鎧と仮面をつけて生きている最も弱く、最も薄汚い人だといえよう。」

「朝士やブラザーフッドの同志に加わるとその人の不自然な部分が急速に融けてゆく。仮面をつけた者は引っ剥がされる。だから本来の自己にどんどん戻ってゆくから恐怖心が無くなってくるのだよ。本来の自己に戻ると不自然な願望も無くなってくる。自然な願望だからたちまち成就する。だから将来の何かを危惧するような心は全く無くなってしまうね。」


この文章を読んだことで、僕の中で
「小島への興味」と「ザインに参加すること」が、ガッチリとリンクしたのだった。


人から何かを言われること、人から受け入れられないことを
常に怖れる僕は不自然な存在で、

ザインの活動に参加することで、僕は何者をも恐れず
心明るく自分を表現していける「自然な存在」に変われるんじゃないか?

こういった大小の「世の不自然」を正していくザインの活動は
正しく素晴らしいものなのではないか?


―― そう、思った。


さらに、世の中の不条理、汚い人間を憎む僕自身の心は、
小島の「悪を斬る」攻撃性と強くシンクロしていた。


世の中の悪、自分自身の不自然さと戦って、自然さを勝ち取りたい。
そのために、ザインの活動に参加したい。

僕は、強くそう思うようになった。


こうして僕は、ブラザーフッド(当時の会員資格)になることを決めた。


核石購入以来行っていなかった、金環蝕代々木店に行った。
ブラザーフッドになるためだけに。

当時の店長であったI藤氏は、買い物目当てではない変わった客に驚きつつも、
僕を喜んで迎えてくれた。

「核石倶楽部」を読んだ感想を熱っぽく語る僕に、
「あなたは朝士向きです」と太鼓判を押してくれた。
自分のことが認められたみたいで、嬉しかったのを覚えている。

さらに、小島露観の思想への好奇心がムクムクと湧いてきた僕は、
ザインの出版物である「盟神探湯」(クカダチ)を買って帰った。
喜んで読み、ますますザイン思想への興味を深める僕。

Riotは、こうして徐々に洗脳されていく(苦笑)


何回目かの来店の折、I藤氏は僕にこう持ちかけた。

「今度、御上(当時の、教団内での小島の尊称)がいらっしゃいますので、
 お会いしてみませんか?」

願ってもない機会だ。
僕は、小島露観に会いにいくことにした。

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