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2008年10月17日

核石を買う〜運命の「確率変動」

何も考えずに、お気楽な時間を過ごしていたあの時。
しかし、いつまでもそんな状況でいられるわけもなく。

おだんは、何を思ったのか、大学を辞めることにした。
そして、都下某市へと引っ越していった。

ヒロシもまた、通っていた専門学校をあっさりと辞め、
横浜で、友人とルームシェアをして暮らし始めた。

…僕の周りの風向きが、変わっていた。


僕は、世間知らずのガキのまま、日々をさまよっていた。
今にして思えば、甘くて、隙だらけ。

そんなだから、90万くらいするパソコンもどきの機械を
騙されて買ってしまった。

バイトして稼いだ金も、ミュージックスクールのローンと、
そのローンに大半が消え、僕はどこかでヤケになっていたのだと思う。


普段はギャンブルなどやらないのだが、
何となく入ったパチンコ屋で、何となく打ち始めて
パッキーを500円分使ったところで、いきなりの確変。

ビギナーズラックなのか、7万以上も勝ってしまった。

思いもかけない大金を手にした僕は、思った。

「『ムー』を読んでいて前から気になっていた、
 金環蝕の核石を買ってみよう!」と。

パワーグッズには割と興味があって、これまでもいくつかの
グッズを買っていたが、大した効果は感じられないでいた。

金環蝕の核石は、核振動変換(NC)という「科学的な手法」を使って
石にパワーを与えているようで、これなら物凄い効果があるんじゃないか…と
当時の僕は思っていたのである。

どっかの霊能力者みたいに、念やエネルギーを注入する…とかじゃなくて、
核振動変換をするための機械が金環蝕にあって、
石をそれにかけることで、力を増幅させるのだと思い込んでいた。

(その後、目を閉じて印を組んでNCする
 幹部軍士(朝士)を見て、内心ガッカリしたものだ。
 そこでザインの怪しさを疑うことができたらまだ良かったのだが、
 それも今となっては「後の祭り」である)


代々木に店があるようなので、数日後に行ってみた。

店に入ってみると、うまくは言えないけれど、どこかアヤシイ感じがした。
小奇麗にしてあるんだけど、オシャレな感じとは程遠く、
どこか無機質な感じで「いらっしゃいませ」と挨拶する店員と相まって、
人を拒む空気があった。

だがそれも、少しは効果の程を信じている者にとっては、
「効果の裏付け」程度にしか感じられなかったりする。

何となく、核石「パチンコに勝つ」を購入した。
顧客登録ということで、住所などを書いてきた。

Riotとザインとの関わりは、こうして始まった。


―― 今さらこんなことを言っても始まらないが、
ここで確変を引かなければ、ここで核石を買わなければ、
僕の人生もまた違ったものになっていただろう。
(今より良い人生かどうか…は別として)


そして人生においては、何気ない選択が、
実は大きな変化のきっかけになることもあるものだ。
それが面白くもあり、また怖くもある。

今振り返ってみて、しみじみそう思う。

2008年10月16日

Heart on the run

Riotは、大学2年になった。

大学生活へのモティベーションが殆どなくなった自分に
「このままじゃヤバいぞ」と危機感を抱き始めていた。

だが、授業は頭に入らない、つまらない、
学内に友達いない…の三重苦がなくなるわけでもなく。

最初のほうこそ授業に出ていたが、すぐに授業に出なくなった。

唯一、「これは興味深そうだ」と感じた社会調査法のゼミも、
教授の軽口を「バカにされた」と受け取り、
グサリと傷ついたことがきっかけで、やる気を完全に失った。

振り返れば、己の未熟さゆえの自業自得…だと分かるのだが、
とにかくもう、大学に僕の居場所はないと感じていた。


音楽でメシを喰っていきたい。
僕は曲を書き、ベースを練習し、バンドメンバーを探した。

バンドを組もうとメンボをかけたが、うまくいかずポシャった。

ローンを組んで音楽スクールに通いベースを習うものの、
どこかで身が入らなかったり、なかなか上達しなかったりで
通うのをやめてしまった。

(アア、勿体無い)

理想と現実とのギャップに、ますます打ちのめされていた。

力の足らない自分、弱い自分が情けなかったけど、
そんな自分を変えていくために何かをするでもなく、
ダラダラと日々を過ごしていた。


自分を高めるためには、時には自分を壊さなきゃならない。

このときの僕は、自分のちっぽけな枠にこだわっていて、
そこから抜け出すことができなかった。


僕のつくっていた「狭い枠」。

それは、
自分の狭い音楽性を最高とみなす「根拠のない自惚れ」や、
演奏技術やコミュニケーション能力の欠如に
心のどこかで気づいていながら、問題から逃げていたこと、
すぐに挫けたり、人に何か言われると傷ついたりする、狭く、弱い心。

こうした枠を壊すということは、
現在の自分を認めた上で、それを乗り越えるということ。


当時の僕は、ガキみたいな根拠のない万能感で突き進みながら、
その実、その裏にある自信の無さで足元がふらついていた。

本気で、そのときの現実の自分と向き合い、
自分を変えようなんて思っていなくて、
自分以外の誰かに、そんな自分を認めてもらいたい、
そして変えてもらいたいという気持ちが、心のどこかにあったのだと思う。

そんな心の隙間に、ザインが入り込んできたのだろう。

2008年10月15日

オウム事件をテレビで見て

1994〜95年。
オウム真理教の起こした一連の事件が、世間を騒がせた時期である。

坂本弁護士一家殺害事件や松本サリン事件で
オウムへの嫌疑がかけられ、その後男性信者のリンチ殺人や、
ロシアとの絡みによる自動小銃密造、サリンの製造など、
とんでもない犯罪性、反社会性が明らかになっていった。

これら数々の事件は、教団の珍奇な内情と相まって
ワイドショーの格好のネタになった。

物事を何でも面白おかしく取り上げるワイドショーが
あまり好きではない僕は、最初は眉唾ものと思っていた。

しかし、一連の事件が、本当にオウム真理教が引き起こした可能性が
大きいことが分かり、一転してワイドショーに釘付けになった。

連日取り上げられる事件、かつての麻原の選挙活動、
あちこちからパクりまくりの歌、延々と繰り返されるマントラ、
ヘッドギアをした信者達の修行風景、
果ては荒唐無稽な信者向けビデオ…

そのどれもが、インパクト満点だった。

地下鉄サリン事件を筆頭とした悪質極まりない事件性、
その一方で報じられる、彼らの常識外れの馬鹿馬鹿しさ。
これらが相まって、僕にはものすごいインパクトを感じられた。


「こんな馬鹿げた宗教に、何で引っかかるんだろう?」


当時の僕は、ブラウン管に映る信者連中をせせら笑っていた。

目の前に映る彼らはリアリティが無く、
僕とは全く違う人種に思えてならなかった。


今にして思えば「お前が笑うな、お前がw」という感じだけれど。


ヒロシやおだんの前で、

ショショショ…ショーコー♪ というオウムソングの替え歌で
「眼鏡をかけた ショーコー♪ 江川〜 昭子〜♪」と歌ってた。

ほかにも、SHOW-YAの「私は嵐」の替え歌で、

「グルの為に傷つーいてぇも〜 今は何も恐れぇない〜
 遠い上九一色に帰りぃたい〜 二人の為の麻原ぁ〜♪」

「わぁあたしはぁ 尊〜師ぃ 麻原だ〜 
 修行す〜る〜ぞぉ ポアするぅぞ〜♪」

(寺田恵子さん、ゴメンナサイ)

なんて、歌ってたなぁ。

「青山総本部の前で、この替え歌演ったらカッコイイなw」
なんてバカなことを言って、おだんに冷静なツッコミを食らった。


悲しいかな、まさか僕自身が同種のカルトに引っかかるなんて、
当時の僕は、少しも思いはしなかった。

このときの僕は、画面に映る彼らと同様の心の隙間を
自分自身も抱えていることを自覚してはいなかったし、

オウムが引き起こした事件や、事件化していない教団の悪しきやり方で
どれだけの人が苦しい思いをしたかにまで、
想像を巡らせることなどできなかった。


人の持つ、弱さ、心の隙間。
スポットライトが当たらないところで感じているであろう痛み。

こういったものを、わずかでも想像し、直視できるようになったのは、
何年も後のこと ――
ザインを離れ、Riotとしての活動を始めるようになってからだった。


本当に、カルトって怖い。

カルトは、自分達を「私達はカルトです」
「私達はこんなに危険な団体なんです」なんて死んでも言わない。
心が弱く、どこかに隙間があると、
カルトの反社会性に気づいても抗えず、
知らず知らずのうちに飲まれてしまったりするのだ。

それが、周りの人にも、そして自分自身にも
深い心の傷を残すことになる。
とても、とても悲しいことだ。

色々と迷いもあるけれど…
ひとりでも多くの人が、この悲しみを終わりにできるように、
ひとりでも多くの人が、この悲しみを味わわないように、
そう願う気持ちは変わらないから、

とりあえず僕は、Riotであり続けたいと思う。

2008年10月14日

糸の切れた凧のように

当時在籍していた、学内の音楽サークル。
友達はほとんど出来なかった…が、ひとりだけ
仲良くつるむようになったヤツがいた。

キーボード弾きの、その彼…「おだん」と音を出したり
色々話したりするようになってから程なくして、
彼の「友人」を紹介してもらった。

聞けば、おだんは新聞奨学生で、
その「友人」は、同僚の奨学生だという。

そんなわけで、僕はおだんの友人「ヒロシ」と出会うことになった。
彼は、歌とギターをやっていた。

ファーストコンタクトこそ、あまり良い印象ではなかった。
しかし…

ヒロシが、配達先の女の子相手に恋に落ちて、
彼女がハードロック/ヘヴィーメタルが好きだとわかったそうで、
ちょっと色々教えてくれないか? と頼まれ、
それがきっかけで、ヒロシともよくつるむようになった。

ヒロシと、おだんと、僕。

連れ立ってメシを食いに行ったり、
彼らの部屋やスタジオで音を出したり、
ゲームやったり、メタルを聴いたり…

さらに、同じようにメタルが好きで、
夜中に爆音でメタルをかけて怒られてたホシ君、

部屋に入ったら、いきなり「赤マムシ」を勧めてくる
中国人留学生のダンさん。

愉快な人たちに囲まれ、めちゃめちゃ楽しかった。
思い返してみると、人生で一番楽しかった時期かもしれないな。


ところで…
新聞奨学生って、本当に大変だ。
朝早く起きて朝刊を配り、夕方には夕刊を配り、
月末には集金にも行かなきゃならない。

かなりタフな状況な上、そこそこのお金も入るもんだから、
よっぽどの目的意識がないと、学校になんて通っていられなくなる。

ヒロシもおだんも、段々学校に通わなくなった。
彼らとつるんでいる僕も、大学に通うモティベーションが薄れていたから、
どんどん大学から足が遠のいていった。


…ヒロシはプロ志向で、音楽機材を揃えたり、
ヴォーカルレッスンに通い出したりした。

僕もまた、彼に多少なりとも影響され、
コンビニで深夜のアルバイトを始めた。

アルバイトも、何だかんだで楽しかった。
同僚や先輩がいい人だったし、中には今でも
友達として連絡を取り合っている人がいる。

バイトしたお金で機材を買ったり、ベースを買ったりした。

(そうそう、ベースを弾き始めたのも、ヒロシの影響だ)


朱に交われば赤くなる…というやつだ。
今考えれば実に嘆かわしい限りだ。
仕送りしてくれた親が泣くぞ。

振り返ってみて、自分が恥ずかしい…と思う反面、
当時の自分の気持ちを思い返すと、

じゃあ、どうすれば良かったのか?
頑張って、無理してでも授業に出ていれば良かったのか?
きっと、それもうまくいかなかったんじゃないかな…とも思う。


糸の切れた凧のように、どこに行くでもなく、
仮初めの自由の風に吹かれながら、好き放題バカをやっていた時期だった。

2008年10月13日

バーンアウト、ドロップアウト

Riotは、めでたく大学に進学した。
北浦和にアパートを借り、一人暮らしの大学生活が始まった。

今まで感じたことも、味わったこともない自由が、そこにあった。
すごい解放感だった。

だが、この自由さの中で、
僕の中で張り詰めていた心の糸は、プツンと切れてしまったのだと思う。


大学では、自由な雰囲気の中で、良い友達ができるかな…と
心のどこかで思っていたが、仲良くつるめる友達はできなかった。

僕自身が難しい性格である上に、人に壁を感じてしまっていたからか、
どうにも周囲の人と仲良くできなかったのだ。

音楽系のサークルに入っても同じ。
周りの人と打ち解けることができず、そこに居場所を見出すことができなかった。

例えば…つまらないことだが、この当時の僕は、酒を注がれるのが嫌だったw

実際のところ、酒はそこそこいける口なのだが、当時の僕は
「両親が飲めないのだから、俺に飲めるはずがなかろう」と
自ら決め付けてしまっていたため、人が好意で酒を注ぐと
半ギレ状態で断っていた。

他人の目から見たら、どうしようもなく困ったイタイ奴である。

このほかにも色々と、ここでは書けないくらい
アイタタタなことをやらかしていたっけ。


肝心の学業にも、あまり身が入らなかった。

高校の頃のように、
参考書を見ながら問題集を解けばいい…というわけではない。
専門書を読み下してレポートを書く行為は、かなりの苦痛を伴ったし、
当時の偏狭な僕は、そこに何の意義も見出せなかった。

試験に際しても、ノートを見せ合ってフォローし合うような友達もおらず。
もし、そんな友達がいたとしても、そういう行為はズルいと
当時の僕は強く思っていたから、ともかくバカ正直に試験に臨んだ。


僕が心のどこかで甘い期待をかけていた大学生活像は、
早くも、音を立てるように崩れていった。

その中で僕は、二人の友人と出会う。

2008年10月12日

Riotの高校時代(3)

僕だけじゃなくて、多くの人がきっとそうなのだろうけど、
何とも青臭く、そしてきな臭い高校時代。

エネルギーが有り余っていたんだな…としみじみ思う。

隣町まで片道40分の自転車通学。部活。音楽。
勉強そこそこ、悩みはいっぱい。
今ならへばりそうだw


ここまで書いてきたように、当時の僕は、周囲のことなど省みず、
ただひたすらにロックな(その実薄っぺらい)自己主張をするばかりだったから、
先生もかなり呆れていたはずだ。

中でも、高1〜高2のときの担任には、そこをグサリと突かれて
相当ムカついたっけ。

この人は国語の先生で、僕は事ある毎に、ロックな価値観むき出しの
今にして思えば赤面モノの作文を提出したりしてたから、
僕は「要注意の問題児」として映っていたに違いない。

高2のときの三者面談。
彼奴(笑)に、結構ひどいことを言われたなぁ。

授業中、たまたま疲れてコックリコックリしていただけなのに、
「Riotは授業中、いつも寝ています」と言われたのを皮切りに、
「Riotは考え方が偏っている」
「バンドで飯食ってくなんて、無理な夢は持つな」
なんてことを言われた。

母の前でこんなことを言われて、ものすごく恥ずかしくて、
屈辱的で、どうしようもなく腹が立った。

今にして思えば、彼の言葉は「本当にその通り」なんだけど、
それでも人間というものは、上から目線で図星を刺されると、
ひどく傷つくし、反発もするものだと思う。

こんなことがあって僕は、ますます好きな音楽に傾倒するようになっていった。


高3になって、割と親しくしていたクラスメイトから
色々と洋楽のCDを借りるようになった。

その中で、僕の音楽観をガラリと変えるきっかけになったのが、
メタル・ゴッドと称されるバンド、ジューダス・プリーストの
アルバム「ペインキラー」との出会いである。

ヴォーカルの圧倒的な歌唱と高音スクリーミング、
完璧に構築されたギターワーク、ツーバス打ちまくりのドラム。

ヤバいくらい、衝撃的だった。

「洋楽メタル、カッコイイじゃん!!」

こうしてRiotは、メタラーになった。

もう受験だというのに、プリーストをはじめ、色んな
ハードロック/ヘヴィメタルのCDを次から次へとレンタルし、
テープにダビングして聴きまくった。

ウォークマンで、プリーストをガンガン聴きながら、
ヘッドバンギングかまして自転車を漕いでいて、
部活の仲間に声をかけられて逆切れしたことがあったっけw

(何と傍迷惑なw)

ハードロック/ヘヴィーメタルは、鬱屈しがちな受験勉強の支えとなった。
この時から今まで、何だかんだで、この手の音楽は僕の心の支えになっている。


そうそう、僕がザインと関わるきっかけとなった「ムー」も、
この時期に初めて読んだ。

「世の中はひどいものだ」という思いが強くあったものだから、
「ノストラダムスの大予言」とか、「ガルフブリーズ6」(だったかな?)とかの
終末思想にかなり心を惹かれた。

この時点で「ザイン参加フラグ」が立っていたんだなぁ…と、
今になって思い返している。


大学受験。
僕は埼玉大学・教養学部を志望していた。
志望理由は、自分の学力レベルに合っていて、社会学が学べて、
さらに文学部にあるような授業を受けられるから。

思い込んだら一筋…という、極端な性格ゆえ、
はじめから滑り止めの私立受験は捨てて、
センター試験に絞って、必死になって勉強した。

夏休みに、自分を追い込みすぎて燃え尽きたりもしたけれど、
どうにか勉強はうまくいって、
めでたく埼玉大学に、現役で合格することができた。

母と合格発表を見に行った。
僕の受験番号を見つけて、僕は思い切りガッツポーズし、母は涙ぐんでいた。

色んな抑圧から解放された『気がして』、本当に嬉しかった。

2008年10月11日

Riotの高校時代(2)

当時の鬱屈した感情のはけ口…
一番は好きな音楽、二番目は部活だった。

まずは、音楽の話から。

XとかLINDBERGとかKATZEとか、色々と聴いたなぁ。
基本、アップテンポの曲が好きで、歌詞が前向きならなお良し。

激しさやポジティブさを強く求めるのは、
内面のネガティブさの裏返しだよな…などと、今になって思ったりする。

聴くだけで飽き足らず、自分でも曲を作って歌詞を書いたりし始めた。
両親に、音源内蔵型の小型シーケンサーを買ってもらったり、
冬休みに郵便配達のアルバイトをしてエレキギターを買ったり。

当時最先端の(笑)QY10をいじりながら、

「自分もバンドでプロになって、
 音楽でこの腐った世の中を批判し、
 人を勇気付け、励まし、熱狂させたい」と思うようになっていった。

そんな僕を、クラスメイトや部活の仲間をはじめとする同級生は、
冷ややかさ半分に面白がっていて、
先生達は、呆れ返ったような渋い表情で見守っていた。

予餞会とか、文化祭の部活の出し物とかで借り出される形で
ステージに立って歌ったっけ。
腹式呼吸もできてないし、できるようになるための訓練もしていなかったし、
何より色々と青臭かったので、今にして思えばかなり惨かった。

(やばい、これを書いてる今、すげー恥ずかしい)
(俺の黒歴史だw)

人から面白がられる自分自身を、今なら少しは楽しめるんだけれど、
当時の僕は、今以上にひねくれて、とんがっていたから、
ステージに立つのを楽しむと同時に、
「お前らに俺の何が分かる! 俺はお前らの玩具じゃないぞ!」と
内心で突っ張っていた。 


次に、部活の話。

部活は、何を血迷ったのか、中学の先輩に誘われてラグビー部に入部した。
スクールウォーズを見て「カッコイイ!」と思ってはいたが、
あれほど苦手な球技、しかも激しい競技を何故やろうと思ったのか、
いまひとつ自分でも分からない。

でも、部活に入ったこと、身体を動かしていたことは、
僕にとって確実にプラスに働いていたように思う。

身体を動かしていれば、グルグルと色んなことを考える時間も減るし、
何より気分がスッキリする。
ウエイトトレーニングにハマり、筋肉がついていくのが楽しかった。

クラスに友達はいなかったけど、部活の仲間とつるむのは概ね楽しかった。
イジられて時々めちゃ腹が立つこともあったけど。
誰かの家に泊まりに行って、酒を飲んで駄弁ったりしたっけ。

中には反りの合わない奴もいたし、人に対する不安感は常にあったけれど、
それでも、今となってはいい思い出だ。

部活に入っていなかったら、
本当に精神的におかしくなっていたんじゃなかろうか。


そんなこんなで、内心の挫折感、抑圧感、葛藤を、
音楽とスポーツでどうにか散らしながら、僕の高校生活は過ぎていった。

2008年10月10日

Riotの高校時代(1)

Riotは、学区内で一番偏差値の高い公立高に進学した。
めでたく地域一番の進学校に合格できた…のは良かったのだが、
それを素直に喜べたのは、授業が始まる前までだった。

いざ授業が始まってみると、高校の授業内容、試験の内容は、
中学までのそれをはるかに上回る難しさだった。
世間知らずのガキだった僕は、「大学受験」をナメていたことを
散々思い知らされることになった。

特にひどかったのが、数学。
中学のときから少し苦手だったのだが、高校に入ってから
全くついていけなくなってしまった。

初めての試験の結果。
確か、9点だった。
10点満点じゃなくて、100点満点で9点w

中学のときの数学の先生が、
「私は『算数』の先生です。数学は難しすぎます」と言っていた
その言葉の意味が、ハッキリと理解できたw

両親は、僕の成績がジェットコースターのように急降下していくのを見て、
とてもガッカリしていた。
僕が勉強を怠けていると思っていたのだろうか、
苦手の数学に「家庭教師をつける」と言い出した。

僕は猛反対したのだが、結局、家庭教師を頼む羽目になった。
結構不安だったのだが、家庭教師の先生は温厚ないい人だったし、
丁寧に教えて下さった。

それでも、みっちり試験前にこれでもかと勉強したにもかかわらず、
0点(!)だったときもあって。

これまで勉強で苦労しなかった僕は、ここにきて
かなりの挫折感を味わうことになる。


対人関係も、中学のときの「陰口事件」が僕の中で尾を引いていた上に、
親しく話せるような友達は少なかった。

周囲の人間に対する不信感、
その反動としての他者への過剰な期待感は、
僕の言動をすごくエキセントリックなものにしていた。

友達できなくて当然だよな…と、今更ながら思う。

本当に恥ずかしいことなのだが、そのときの僕は、
他の誰かが何を思っているか推し量ることなんてできなかったし、
人それぞれ、色んな思いや考えがあって、
その裏には様々なバックグラウンドがある…なんてことにまで
思いが至らなかった。

中2のときの担任の先生には、こんなことを言われたっけ。

「誰もが、悩み、傷つき、苦しんでいるのだ。
 他人の気持ちを考えられるようにならなければならない」

今思えば、全くその通りで、至極ごもっともなんだけど、
10代の僕は、自己中心的な自分を認め、受け入れることなんてできなかったし、
内心では「そんなアンタは、俺の気持ちがわかるのかよ!」と激高してさえいた。


勉強での挫折感、進学校ならではの抑圧感、
そして孤独感が無意識のうちにのしかかる毎日。
その負の感情は、いきおい外へ放射されることになる。

2008年10月09日

Riotの中学時代(2)

表面上は明るく、勉強とか部活とかを一生懸命頑張ってはいたものの、
心の奥では不満だらけ、劣等感だらけだった中学時代。

このくらいの年頃から、社会というやつを、
未熟で色々と足りないなりに、少しずつ考えるようになった気がする。


思い出してみると、宇野内閣の退陣〜参院選あたりか。
リクルート問題、消費税、宇野元総理の女性スキャンダルに揺れた時期だ。

子供なりに、賄賂を貰う政治家や官僚、
無策のままに、取れるとこから税金だけはしっかり取ろうとする政治、
だらしない時の総理大臣に「これはオカシイだろ!」なんて思ったものだ。

その一方で、近所の駄菓子屋に買い物に行ってみたら、
店主のおばあちゃんが、
「自民党がここまでやってきた政治を何だと思っているのか!」と、
不平たっぷりにご高説をぶちまけられたりもした。

(ヲイヲイ、おばあちゃん、相手は子供だろw)
(きっと、色々と淋しかったんだろうな)


自分で働いて、お金を稼いで生活しているわけじゃないから、
政治の重み、社会の重みなんて実感できはしなかったのだけれど、

それでも、「世の中はろくなもんじゃない!」
「不正は悪いことだ!」みたいな問題意識が、僕の中で芽生えていった。

その後、ブルーハーツを筆頭に、
ちょこちょことロックを聴くようになって、こういう偏った
「世の中への批判意識」がさらに加速していくのだった。


今だから分かること、今だから言えることだけれど、
僕は世の中に問題意識や批判精神を持っていた…というよりは、

「悪いことをどうしても許せない」という潔癖さや、
「自分を受け入れてくれない周囲」への投影が、
世の中への見方に現れていたのだと思う。

世の中は確かに問題だらけだけど、それ以上に
自分自身の悩みや葛藤といった内面的な問題があって、
それが外に向かっていった…そんな気がする。

自分の至らなさを直視する前に、
世の中にその責任をすっぽりとかぶせてしまう思考。


もはや後の祭りだけど、
僕が、ザインに引っかかった原因のひとつだと思っている。


…あともうひとつ、印象に残っている出来事がある。

あれは中3のときだった。
このときのクラスは、まとまりがあって、
クラスメイトそれぞれの仲も悪くはなかった。

クラスの中心グループ ―― 明るくて積極的な人が多かった ―― に、
僕もくっついていた。

ある日のこと。
そのグループの人達と一緒にいると、誰かが、
隣のクラスの皆から嫌われている女子が書いたラブレターを持ってきて、
皆で回し読みを始めた。

いつもは明るいクラスメイトが顔を歪ませ、口々に
「うわっ、気持ち悪い」などと陰口を叩いていた。

よくある話…といえばそれまでなんだろうけど、
この手の陰口とか、卑怯な行為が嫌いな僕は、正直ゲンナリした。
普段いい人っぽいクラスメイトの、ドス黒い一面を見た気がした。

これをきっかけに、他者への失望感と、
その反動としての期待感がぐんと増していったような気がする。


そんなこんなで、多感な時期といわれる中学時代、
ますます内面を屈折させて、Riotは中学を卒業。高校に進学した。

2008年10月08日

Riotの中学時代(1)

Riot少年は、中学生になった。

相変わらず、不安定極まりない明るさを目一杯振りまきながら、
ふとしたことで弾けそうな自己嫌悪と劣等感を胸に抱えながら、
優等生ちっくな日々を過ごしていた。

小4のときに買ってもらったファミコンは、
すっかり遊びの中心となっていた。
同世代の例に漏れず、ドラクエとファイナルファンタジーにハマった。


毎年クラス替えがあったのだが、
中2のときのクラスが、もう最悪だった。

僕のような「人間性に問題ありの優等生」キャラを
鼻持ちならないと思う奴等が、たまたまクラスに多かったんだよなぁ。

それなりに仲良く話せる友達はいたような気がするが、
安心感などない、不安ばかりの毎日で、精神的に孤立しかかっていた。

そんな折、スキー教室があった。
バスの中ではお約束というべきか、
備え付けのカラオケで盛り上がっていた。

誰かの歌を何気なく聴きながら、ぼけーっと腰掛けていたら、
いけ好かない(笑)クラスメイトが、マイクと歌詞ファイルを差し出し、
「Riot、お前も歌えよ」と誘ってきた。

オーバーリアクションで、いじり甲斐のある僕を、
一丁からかってやろうという魂胆なのだろう。
かなり、ムカッときた。

曲は、ブルーハーツの「Train-Train」。

前に書いたように、芸能関係にめちゃめちゃ疎い僕。
当時の僕の中で「音楽」といえば、学校の授業と、
すぎやまこういちと植松伸夫のゲーム音楽だった。

初めて聴いた曲だ。上手く唄えるはずもなかろう。
案の定、サビの譜割りを間違えて、からかわれた。

僕をからかうクラスメイトには、めちゃ腹が立ったが、

それ以上に、
ブルーハーツとの、ロックとの出会いは衝撃だった。

アップテンポの8ビート、
よく分からないけど心を抉るような歌詞に惹かれたのだ。

その後、ブルーハーツの初期の3枚のアルバムを
買い集め、聴いてみた。
ハマッた。

ヒロトやマーシーの書く歌詞、180bpmの8ビート、
粗雑だけど、全てをさらけ出すかのようなヒロトの唄い回しは、
劣等感でいっぱいだった僕に、ものすごい勇気と熱狂をもたらした。

過去を振り返ってみて、確実に「人生を変えた」出来事のひとつである。

…当時のクラスメイト達がこんなことをしたのは、
子供ゆえの残酷な意地悪なのか、
人と溶け込めない僕にきっかけを与えたのか、
今となっては分からない。

分からないけど、感謝してる。
素晴らしいものとの出会いをもたらしてくれたことに。

2008年10月07日

家族のこと

僕の家族についても、書いておこうか。


僕の両親は、洋菓子店…ケーキ屋をやっていた。
二人とも、とても真面目で実直、働き者だ。

父も母も、酒も煙草もやらず、節約に徹して無駄な買い物はせず、
日々できることをコツコツとやっていた。

僕はそんな両親のもとに、長男として生まれた。

初めての子供だったから、両親はとても喜んだはずだ。
父にとっても母にとっても、僕を育てることは
驚きと困難と、そしてそれ以上の喜びでいっぱいで、
色んなことが新鮮だったんじゃないかと、今になって想像している。

その後、弟の誕生、
脱サラして店を持ち、軌道に乗せる…といった流れと相まって、
当時の両親は毎日を必死に生きながら、
僕や弟の成長に期待し、胸を躍らせていたのだと思う。


両親 ―― 特に母親は、僕を良い子供に育てようと、
そのときにできる目一杯の愛情をかけてくれた。

書道、水泳、サッカーなどなど、沢山習い事をさせてくれたし、
YMCAのサマーキャンプ、ウインターキャンプにも参加させてくれたっけ。


その反面、無駄なこと、大衆娯楽に触れることに関しては
ことのほか厳しかった。

小学校低学年くらいまで、茶の間にTVがなかった(!)し、
当時衝撃的なまでに流行ったファミコンを買ってもらえたのも
随分と遅かった。

これまた爆発的に流行ったビックリマンチョコなんかも、
少しシールを集めようとしただけで、
「またこんな下らないもの買って!」と怒られたっけ。

家にファミコンのある友達、
ゴムで束ねなきゃいけないほどビックリマンシールを集めてる友達が、
かなり羨ましかった記憶がある。

一番ビックリなのは、早寝の習慣で、
小6のときまで、夜9時には就寝させられていた。
当時の僕にとって、それは当たり前のことだったのだけど、
中学に上がって、何かのきっかけで皆の前でその話をしたら、
かなり驚かれたのを覚えている。

TVを見ない習慣と相まって、おかげで、
今でも芸能関係の話題についていくのが苦手だ(苦笑)


…そんなこんなで、僕は大事に育てられてきた。


だけど、前に書いたとおり、僕は難しい性格だから、
人に言われた言葉のあれこれを気にしすぎて、
深く落ち込んではよく母に愚痴っていた。

でも、母にしてみれば、
僕があまりに些細なことで精神的ショックを受けるものだから、
僕のことが理解できなかったのだろう。

「そんな風に言われたくらいで、気にするな」という、
つれない返事が返ってくるばかりだった。

こんなことが何度も何度も繰り返され、
いつしか僕は、小さなことでいちいち傷つく僕自身に
劣等感を抱いていった。


父は父で、厳格で怖いイメージがあり、
実際に怒るととても怖かった。
かなり後まで、そんな父がずっと苦手だった。

弟は、僕とは対照的で、
学校の勉強はそんなにできるほうじゃなかったけど、
運動神経が良くて、
何より屈託がなくて気立てが良くて、いつも友達に囲まれていた。

苦手な父に可愛がられていて、友達も多い弟を横目に見ては、
じわりじわりと劣等感を育てていった、そんな子供時代だった。



…誤解のないように書くが、僕自身の性格の悪さとか、
ザインに引っかかったこととかを、親のせいにしているわけじゃない。


僕は、両親には言葉で言い表せないくらい感謝しているし、
ものすごく誇りに思っているし、
昔納得できなくても、今だから納得できることだっていっぱいある。


自分のことは、あくまで自分のせいなのだ。


ただ、僕はザインの件で、
そんな両親の愛情を裏切ってしまった…という負い目がある。
いい大人といえる年齢になって、ますますその負い目が心にしみている。

2008年10月06日

子供の頃の僕

それじゃ、
僕がザイン(ザイクス)と関わる前のことから、話を始めようかな。

何故僕がザインと関わるに至ったかを伝えるためには、
そこまで遡らなくてはならないから。


幼い頃の僕は、とにかく気難しいガキだった。

明るくて、正義感が強くて、
エネルギッシュで生真面目で…といえば聞こえはいいが、

デリケートで感情が激しくて、自己顕示欲が強くて、
他人に良く思われたくてしょうがなくて、
両親や友人をはじめとした周りの人間を振り回す、
ホントに嫌なガキだった。

(今でも、この性格はあまり変わっていないかもしれない。
 ただ、自覚できている分、それなりには
 自分のことをコントロールできるようになったと思う)

感情が高ぶるあまり、他人の気持ちを考えることができない
そんな性格だったため、周りとぶつかることが多く、
周りの大人からは「トラブルメーカー」と見られていたはずだ。


学校の勉強は、良くできたほうだった。
中学までは、勉強で悩んだことはなかったと思う。

運動は、水泳くらいしか人並みにできなくて、
特に、球技は全滅といってもいいくらい苦手だった。

見事に、嫌われ者の条件を満たしているなぁ…と
我ながら思う次第だ。

当時の通知表なんて見たくないけど、
勇気を出して開いてみると「デリケート」「自己正当化が激しい」といった
言葉が並んでいて、今でも顔から火が出るくらい恥ずかしくなる。


今も昔も、楽しいことは好きだ。
チャンスがあれば、明るく楽しく弾けたいと思う。

みんなと仲良く、楽しくやりたいんだけど、

心が狭いうえに、すぐに感情的になってしまい、
人の気持ちを考えられないから、平気で人を傷つけてしまうし、
それがもとで自分も傷ついてしまう。

しかも…
なまじ勉強ができて、糞真面目で、
でも性格はあまり良いとはいえなくて、運動も苦手。

地の明るさゆえ、そこまで嫌われることはなかったかもしれないけど、
実際のところ、同級生から嫌われる要素、満載である。

口には出さないまでも、時々感じる冷ややかな視線、
僕を傷つけない程度にやんわりと浴びせられる、冷ややかな言葉。

ダメじゃん、俺。


さらに、もうひとつ、僕の良くないところ。
それは、プライドの高さである。

自分に対する、根拠のないひとりよがりの自信。
そして、人から笑われればすぐに「バカにされた」と
激高したり、傷ついたりした。

小さい頃、伯父さんが家にやってきたとき、ふとした言葉で
「バカにされた」と思い込み、
ワンワン泣き喚いたことがあったっけ。

何故、こんなにも「人から笑われること」が鼻持ちならないのか、
「人から尊重されることを」を過度に望むのか、
理由はよく分からない。

もしかしたら、記憶の底に埋もれたトラウマが
そうさせているのかもしれない。


人から愛されない、ダメな自分が嫌だ。

でも、自分を理解してくれない周りは、もっともっと嫌だ…
誰かにバカにされるのは、本当に嫌だ…

すぐに傷ついて、感情的になってしまう自分を
正当化する反面、どうしても許すことができない…

そして、そんな自分の揺れる気持ちを誰も分かってくれない。
いつも「何でそんなことを気にするのか」などと言われてしまう…

さらに、他人の嫌なところ、間違っているところを許せない…


当時は自分の気持ちを言語化できなかったけど、
今振り返ってみると、こんなことを思っていたのだと思う。


そんなわけで、「協調性の無さ」は、時間を追う毎に、
僕の中で、ものすごいコンプレックスとなっていった。

感情のアップダウンを抑えられない自分。
人とうまく付き合えない自分。
人の言葉に傷つき、怯える自分。

そんな自分を、ずっと持て余していた。

2008年10月05日

ザイクスについて、色々と振り返ってみようかな

私がこのサイトを始めてから、もうすぐ5年になります。
ザイン(ザイクス)に在籍していたときも、辞めてからも、サイトを立ち上げてからも、色んなことがありました。

自分の中でも色々と節目かな…と思うので、かつて思っていたこと、今思うこと、ザイン内部にいたときの体験など、覚えていることを書き綴っていこうかなと思います。

いつもはかしこまった「Riot」を演じている私ですが、今回は出来る限り、素の自分を出していこうかなと思います。
面倒なトラブルが発生するのが嫌なので、あまり不特定多数の人に弱いところを見せたくないのですが、僕・RiotがRiotとしての立場を少し離れて、色々と正直に過去のことや今のことを語るのもいいかな…と。

そんなわけで、ぼちぼち書いていきますので、気が向いた方、どうぞよろしくお付き合いください。
よろしく御願いいたします。

このブログでは、SEX教団・ザインザイクス天業古代王朝シリウス核石・の、内情と実態を書き綴っております。
シリウスは、詐欺まがい・押し売りまがいの霊感商法、性の儀式、軍事訓練などを行っております。
シリウス核石のことを知りたい方以外にも、ザイン(シリウス)を辞めた方、
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